タクスィムで警官は、読書中
2013年06月20日付 Radikal 紙


24日間あらゆる形で続けられるゲズィ公園の抗議活動は、トルコにおいてだけではなく、世界中で反響を呼ぶこととなっている。何日か前まで、タクスィムの空をガスで覆おうとしていた警官たちが急に「親しみやすい読書家」になることもそれの一つである….。

24日間あらゆる形で続けられるゲズィ公園の抗議活動は、トルコにおいてだけではなく、世界中で反響を呼ぶこととなっている。

土曜日、日曜日にわたって、ゲズィ公園とその周辺にむけて警察の介入があり、全てのデモ活動に対し催涙ガス、高圧放水、またプラスチック弾で介入が行われた後の月曜日の日没頃、たった一人の人物によってはじめられ、ものすごい勢いで広まった「立つ男」運動はそのうちの一つである。2日後には、この「立つ男」たちの向かいで自ら同じことをしようとするものが現れるほど、この行動は効果的だった:スタンディング抗議を行う人々に対してスタンディング抗議!しかし明らかに建設的ではなかったので、彼らは期待されていたような効果を出せぬまま、広場から退散せざるを得ないこととなった。

少数の抗議者たちがいわゆる「木の見張り」を続けていた抗議運動の初期のころ、読書も一つの「運動」の形であるとされた。実際のところ抗議者たちは、おそらく長時間におよぶゲズィ公園内の木の見張り番を「有効に」過ごしたかったのだろう。しかししばらくすると、警察の容赦ない介入に対して、読書という平和的抵抗は一つの手段へと変わった。介入の準備を行い、ヘルメットをつけ、盾を構え、マスクをした警察の前を、本を読みながら過ぎる人々は、抵抗運動の平和的実態を世間に映し出すことに成功した。

デモに対する、首相や政府の厳しい対応は変わることがなかった。しかし、5月29・30・31日の朝にゲズィ公園に踏み込み、5月31日以降、デモのあっ た場所に即座に行われた厳しい介入が、警察に対しての怒りを生むことになったということに気付いたことは間違いない。既に、抵抗運動が最高潮を迎えた5月 31日、タクスィムに流れ込んだ人々に対して起きた最大の問題は、警察の暴力であった。この暴力はタクスィムにおいてある期間見られなかったが、おそらくその直後拡大し、元通りになった。またこの映像はトルコ全土で、さらにいうと世界中で報道された。それは人々の記憶からそう簡単には消せないような映像である…子供たち、障害のある人たち、年老いた人たちも含まれる平和的な集団へ、薬物入りの高圧放水が発射され、近距離からガス弾が撃ち込まれる…公園内に張られたテント村を、まるで昔、戦争に勝利した者たちが征服地に赴いたかのごとく荒らしている様子…。

こうして、このような映像がもたらすダメージを政府や警察関係者は気付いていなければならない。タクスィムで“ゲズィ公園へ誰も侵入させない”ために配置された警官が「立つ男」運動を行う抗議者たちを真似て、本を読むこともこの文脈の中で理解することができる。まるで、警察の中で「イメージ向上」の必要性が感じられたかのようである。警官にある程度の数の本が配られ、「目に付くかたちで本を読むこと」が望まれた。警官も、この“任務”を遂行するために一人ずつ本を選 び、イスへ並んで座った。仕方がないといった様子で興味がなさそうに彼らの目がページを泳いでいる…。

さて、警官たちは何を読んでいるのだろうか?メフメト・アーキフ・エルソイの「サファハト(訳注:エルソイの7巻からなる詩集の総称)」や、レフィキ・ハーリド・カライの小説、作者のわからない「啓発」本で、「愛はこのように保たれる」など…しかし、これらの本のうちの一つはソーシャルメディアの注目から免れることができていない。危機が始まってからというもの、過ちに過ちを重ね、“ゲズィ公園の精神“とも言えるユーモア誌「TOMA」に大量のネタを提供した“関係者”たちは再び失敗を犯した。ある警察官が注意散漫に読んでいた本の表紙には「脳を初期化しろ」と書いてあったのだ。バルシュ・ムスルのドアン出版から出版された啓発本「脳を初期化しろ」の裏表紙には、このような紹介文が記されている:「我々は今、共に全く別の事をしようとしているところである。実際のクリーンアップ作業で‘初期の’プログラムをあきらめたくない人々は、脳を初期化するのだ。」

警察官たちはこのような“印象のために”本を読むことで“個人の啓発”を保障できるのだろうか?あらゆる場所へガスをまき散らし、デモ参加者たちを傷つける映像が、まさに今人々の記憶にこのように刻まれているときだというのに…。

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( 翻訳者:桑迫静香 )
( 記事ID:30515 )