Ismet Berkan コラム:(ゲズィにいた)個人と(AKPの)「市民」の、トルコ政治における新しい役割
2013年06月21日付 Hurriyet 紙

事件の当初から言っているように、レジェプ・タイイプ・エルドアンとその周辺は、ゲズィ公園デモ参加者に対し、戦略的な行動をとっている。

「首相はわかっていない」といういい方が、ある時期、語られ、書かれた。私は、まったくそういう風には考えていなかった。首相とその周辺は、ゲズィ運動をある種の「政治反乱」とみなし、それにそって行動してきた。私を含む多くの評者は、ゲズィには、「政治的反乱」が存在しないことを説明しようとしてきた。アフメト・インセルの命名によれば、これは「自尊心の反乱」だった。

先日、ゲズィ公園が一掃されたのちに、その時点の状況についてコラムを書いた。エルドアン首相とAKPは、野党がゲズィ問題で通りに溢れた人々を代表していないことがもたらす安心感から、一方的な行動をとり、誰とも交渉することなくこの国を運営しはじめるだろうと。実際、そのコラムがでたその日に、首相はAKPの議員らを前に、そのとおりのことを言った。もやは野党のことなど歯牙にもかけないことを、世界中に宣言した。

しかしこうした政治的結論、あるいは、その前提は、そもそもゲズィ公園の問題で通りにあふれ出た人々には無関係だ。なぜなら、彼らはこの問題を、政権をとるとか、とれないとかいう枠組みではみていないからだ。よって立つところがまったく違っているせいで、政府が自分たちを理解していないと考えている。

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欧米と比べて遥かに遅れて、トルコはいま、ルネッサンス、または啓蒙の時代を体験しているといえるだろう。そのルネッサンスを2013年5月30日を待たねばならかった。そして、実際に、それはおきた。
トルコにおいて、ノン・ガバメントという意味での「市民sivil」という形はあったが、「個人birey」は、ひとつの集団、群、行動様式しては存在していなかった。
しかし、2013年5月30日以後、「個人」が存在する。一人一人の個人が、互いに連帯、支援しあいながら、自分たちの「自尊心」を主張している。

たしかに、そのなかには、クーデーターを懐かしむ国家主義者や、ケマリスト、「アンチ・カピタリスト・ムスリム組織」さらには、とっくに無くなったと思っていた左翼の諸集団も入り込もうとした。しかし、そのいずれもが、人数的にも、また運動の精神という面でも、中心にはならず、中心的位置を手にいれることができなかった。中心にいたのは、「個人」だった。「個人主義運動」を組織することはないが、しかし、個人として運動に参加した人々。欧米的な意味での、「個人」がそこにはあった。その「個人」が、ヨーロッパでいうところの、「市民sivil」と同義で、国家から独立し、国家に対する恐怖感ももたない人々であることも、我々は知った。
人々を躊躇させ、驚させ、与党を当惑させ、何年もの(成功した)年月ののち首相にはじめて事態をコントロールできなくさせたのも、彼らだ

偉大な思想家カントの有名な、「あえて賢明であれ」というテーゼ、すなわち「勇気をもって考えよ」という言葉に従って行動する、考えることを誰かに委ねたりしない、自分のことは自分で決める個人は、今後ふえていくだろう。政治家はますますやりにくくなるだろう。
なぜなら、彼らの前から「組織化された人々」は減ってゆき、ばらばらの個人が増していくからだ。

■公正発展党(AKP)は、どれほど「市民的sivil」か

もともと、トルコでは、「イスラム主義者 islamci」ほど、「国家から除外」されたという意味での市民sivil はいない。
AKPの核にいる人々も、その周辺にいるより広い幅の輪(の人々)も、「国家から排除」されており、その意味では、市民sivilだ。

しかし、おそらく一つの点で違いがある。国家に不正に扱われ、国家により排除され、軽蔑されてきたという意味での「国家からの排除」と、西洋的な意味での「ノン・ガバメント」は同じではない。

トルコにおけるイスラム主義者、あるいは、国家から不当に扱われ、虐げられてきた人々は、忍耐強い政治的な闘争の結果、政権を手にした。

では、それは何のためだったのか?国家を真の意味で国民の奉仕者とすること、今後、ほかのだれをも不正に扱わないこと、軽蔑しないこと、排除しないこと、そのための法律を整備し、民主化を実現するためだったのか、あるいは、以前に自分たちに対し不正を働いた国家を、自分たちのものにするためだったのか?

「市民的」な政治闘争の末に「国家(そのもの)の党」となることは、(50年代の)民主党、(60年代の)公正党、そして、(80年代の)祖国党が陥った罠だった。今後、AKPが同じ罠に陥らずにすむかどうかは、これからだ。

■個人と組織

AKPが「市民的sivil」かどうかは、社会学的に分析せねばならない。
トルコの政治家たちは目の前のものを、個々の個人としてだはなく、一つの「集団」、一つの「教団」、一つの「グループの一部」とみる。そう見て、これまでそう間違うことはなかった。

しかし、都市化、生活水準の向上、教育の浸透は、そうした組織的な関係をある程度、解体させている。個人が前面にではじめている。自分のことは自分で決め、自分で考え、誰かに代わって考えてもらうことをしない個人たち。
彼らを(子供扱いして)父親的振る舞いをすること、保護下におこうとすること、必要なら叱ろうとすることは、そう簡単なことではない。


(本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。)

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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
( 記事ID:30518 )