Ismet Berkan コラム:唯一の道は、クルド問題政治的解決プロセス
2013年07月02日付 Hurriyet 紙

もし皆がさらなる民主主義、さらなる自由、人権を100%尊重する国家と司法体制を望むのであれば、現時点で我々に残されている道は一つしかない、二つはないのである。
その道とは、名まえをあえて言うなら、「(クルド問題)解決プロセス」といわれているものである。
もしトルコに平和がもたらされるとしたら、これは単にクルド人だけでなく我々全員に、さらなる民主主義、さらなる自由、人権を100%尊重する国家と司法体制が生み出されることでもたらされるということは知っている。そしてもし本当に全員が、つまりレジェップ・タイイプ・エルドアン首相が発言した「家にどうにか押しとどめた」50%の人々と、ゲズィ公園での抵抗運動に参加した者、ディヤルバクルのリジェ郡での軍警察駐屯所建設現場で命を落とした者、夜に自宅で鍋のフタを叩いていた者、一部始終を単に傍観するだけで満足するものも含む全員が、さらなる民主主義、さらなる自由、人権を100%尊重する国家と司法体制を望むとしたら、「政治的解決プロセス」の成功に向けて我々は邁進せねばならない。
政治的意見の対立、過去・現在・未来に関する雪辱を果たすこと、そして自分たちのエゴを追及するのを一旦休止し、そこで我々全員が息をし、我々の持つあらゆる不平等と政治的闘争を繰り広げることになる将来の民主主義トルコを形作るために、我々はできる限りのことをしなければならない。
「しかしこのAKP自体が民主的でないのに、この国に民主主義などもたらされようか」と考えているのならば(このように考えている者がいるのだ)、その時は民主主義を望む旗をあなたたちが持ちなさい。首尾一貫した、断固たる姿勢でこの旗を手にしなさい、今日あなた達がAKPの誠実さを問いただしたように、明日(将来)あなた達が問いただされないように。
我々は民主主義のための闘いと権力のための闘争をそれぞれ区別する必要がある。あなたたちが「民主主義のために闘っている」と主張するとき、本来はその視線(矛先)を政権(権力)へ向けてはならないし、また政権についている者たちも同様である。
我々には民主主義への道が1つだけある;2つでなく。
以前にも書いたが、トルコの民主化はAKPだけにゆだねることができないほど重要なことである。この民主化への道をAKPのみに委ねるとどうなるのか我々は知っている:政権は、ギリギリまで、そして十分だと思える程度まで民主化を進めた後、停止した。その後民主主義を手にしたとして、我々が政権に対し恩にきるよう期待するのだ。
この10年間でいくつもの民主化へ向けての取り組みや、EU加盟交渉、司法改革を行ってきたにもかかわらず、依然として民主化について我々が議論しているということの原因は一つだけ、他にはない:すなわち民主化を遂行するためにAKPにだけその任務がゆだねられてきた、そしてAKPはそのたびごとに「いくばかりかの」民主主義をもたらしてきた。しかし、ゲズィ公園抵抗運動の後、全員がさらなる民主主義とさらなる自由、人権に対して100%尊重する国家と司法体制について議論している; それならばそのエネルギーを民主化と「(クルド問題)政治的解決プロセス」に向けること、そのプロセスの中身をもっと充実したものにする以外、道はないように思える

■ニヒリズムと共にどこまで?

終わりなき疑いを持ち続けること、全てのものには意義も価値もないと考えること、ただ異議を唱えて抗議すること、これらはもちろん一つの政治的態度である。
しかし現実はこうである;「政治」と我々が呼ぶものは、ネガティブからではなくポジティブにより前進するのだ。辛辣な批判はもちろん政治にはつきものである、しかし票を望む段階になると、その票を手にするのは、建設的で前向きな人である。
普通は抗議するために、広場に出てくるものだ。しかしあなた方がその広場にいる時間が長くなればなるほど、人々はあなた方が何の味方なのか知りたくなってくる。
政治を拒否し、政治をさげすみながら我々が行き着く先があるなら、それは唯一、ニヒリズムである。しかしそこでも黄金律が働いている:ある者はポジティブに政治を行い、権力を手にする;そしてあなた方を、あなた方のニヒリズムと向き合わせることになる。
ゲズィ公園抵抗運動から何かを得ようというなら、その得ようとするものは、好むと好まずにかかわらず、「政治」となる。政治を拒否し、政治をさげすんでいたらどこにも辿りつけない。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:小幡あい )
( 記事ID:30665 )