アズィズ・ネスィン、没後18年
2013年07月06日付 Hurriyet紙


ショートストーリー、戯曲、詩の分野で、風刺小説をはじめ非常に多くの作品でトルコ文学に貢献した作家、アズィズ・ネスィンは、その18回忌に敬愛や追慕と共に追悼された。

風刺小説作家ネスィンは、1995年7月6日にイズミル県アラチャトゥで亡くなった。
彼の親友のアーティストやファンらが、ソーシャルメディア上で詩やメッセージを共有しながら、彼の死を惜しんでいる。
舞台俳優のゲンジョ・エルカル氏はツイッター上でつぎのようなメッセージを投稿している。
「我が師であり、兄であり、そして親友であるネスィン、すでに君はゲズィにいることだろう、若者とともに。僕たちはどこへ向かっているのだろうと君は尋ねたじゃないか、あの素晴らしい日々に」

■4番目に翻訳作品の多い作家

ネスィンは、1915年12月20日イスタンブルに生まれた。
ユネスコ発行の世界翻訳図書目録”The Index Translationum”によれば、トルコ語文学作品ではオルハン・パムク、ヤシャル・ケマル、ナズム・ヒクメトに続き、作品の外国語翻訳が多い作家では4番目となる。

彼は、その作家人生で多くの賞を獲得した。
1993年7月2日には、16世紀の詩人ピール・スルタン・アブダルに関するイベントに参加するためスィヴァスを訪れた。
その際、37名が死亡したスィヴァス事件が起こったが、無事に救出されている。

この悲劇から2年後(スィヴァス事件の2年と3日後)、ネスィンは、交流会とサイン会のためにシェシメ・アラチャトゥを訪れ、7月5日~6日未明に心不全で亡くなった。

シェシメ共和国検察から司法解剖要請があり、ネスィンの遺体は7月6日、イスタンブル・チャパ医大に運ばれた。
その後、1995年7月7日、遺言によりいかなる葬儀も行われず、また場所も明かさぬままチャタルジャにあるネスィン基金の庭園に埋葬された。
80年間の闘争は彼に、無数の栄光とネスィン基金を残した。

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(翻訳者:原田星来)
(記事ID:30721)