枯れない、ボスニア紛争の涙
2013年07月12日付 Radikal 紙


第2次世界大戦後の欧州で起こった最悪の悲劇「スレブレニツァの虐殺(1995年7月)」から18年が経ち、犠牲となった8,000人以上のボシュニャク人が追悼された。新たに身元が判明した犠牲者409人の埋葬も行われ、悲しみを新たなものとした。最年少の犠牲者であるハバ・ミュヒッチさんの「名前のない」赤ちゃんの棺が移送される時、人々は悲しみに包まれた。虐殺で殺害された父の傍に埋葬された赤ちゃんの母ミュヒッチさんは、墓標にファティマと刻むよう望んだ。ポトチャリ(ボスニア・ヘルツェゴビナの村)で埋葬される犠牲者のうち44名は、14-18歳であった。オランダ・ハーグの旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷では、(ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦(1992~95年)中の残虐行為で人道に対する罪などに問われている)当時のセルビア人勢力指導者、ラドヴァン・カラジッチ氏に対する上級審判決で、ジェノサイド(大量虐殺)の罪について、無罪とした一審の判断を破棄し、審理を差し戻した。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:山根卓朗 )
( 記事ID:30794 )