Mumtaz'er Turkoneコラム:「陰謀」説
2013年08月02日付 Zaman 紙

陰謀説の影響力をもつのは単純さと分かりやすさに拠る。複雑な世界はまずいくつかのアクターに還元される。そしてそのいくつかのアクターによる机上の計算が出来事を説明するのに十分なものとなる。

陰謀は近道を用いることで情報の海の長く困難な航海から相手を救う。このため、無知からくる大胆な行動は「情報が少なければ少ないほど陰謀がある」という説によって説明できる。陰謀説は強力だ。なぜならば無知の表れは勇気だからだ。

アラブの春はアメリカの陰謀だった。そしてアラブの春に対する軍事クーデターもまたアメリカの陰謀だった。公正発展党(AKP)のリーダーはアメリカの大中東プロジェクトの共同指導者だった。ゲズィ公園以降増したAKP政権に対する抗議もまた、アメリカ発のソロス革命の類似物として計画された。全てはアメリカの陰謀だ。ムバラクは、まるでゼウスのように考えがころころと変わる、哀れな人間たちの心を読む古代の神のようだ。それか、全ての陰謀論は同じ論理と判断で他の陰謀論に潰されている。互いに相矛盾する事を明らかにする一つの理論は、実際には何も説明していないのだから、私たちは他のところを見なければならない。

社会とはいかなる力も簡単に動かすことのできない、重く、複雑なものである。社会はただ変わるだけだ。この変化の方向と原動力を正しく理解する者たちは、 帆をこの風で満たして前へ進む。変化を止めようとしたり遅らせようとする者は、圧力と暴力を用いて事態を遅らせ、この間に重い対価を払わせる。血が排水溝のように流れてい る場所を見てください。自分の潜在性を引き出すために自由を求める社会と、僅かなマイノリティーの利益を守るために変化を止めようとする暴政者とを目にすることでしょう。陰謀とは、変化を望む人々の要請ではなく、彼らを止めようとする暴政者たちがもつ唯一の武器なのである。

エジプト軍は優れた射撃手を使って群集の中からライチョウのように、選びながら人を狩ることで自らの解決策を見せたことになっている。人びとは、人間らしく生きる、自由となる、尊厳を守るといったような非常にまっとうな欲求を、正当な方法で民主主義の要請の中に含めている。クーデターの参加者たちは弾丸と同じくらい単純な陰謀を用いてこの変化を止めようと努めている。チュニジアのナフダ政権は社会変化の要請の産物である。反体制派のリーダーたちの暗殺は、この強力な変化を止めるため旧体制の暴政者たちが用いる陰謀である。トルコでは長年、世俗主義・アタテュルク主義知識人が、世俗主義・アタテュルク主義者のクーデター実行者によって混沌状態を形成するために殺されてきたのではなかったのか。ということは、陰謀[の根]は、社会の原動力の中ではなく、混沌の中で政権を転覆しようと企む人たちが用いる手練手管の中に求めなければならない。

大衆による行動は陰謀説では説明できない。しかし大衆が自らの主張を持って表舞台に登場すると、陰謀を企てる人たちも自分の仕事をしようと事を企て始める。民主主義は、本来の力を、政治的な対立を単純な陰謀から切り離し、民衆の大きな原動力に託すことで獲得される。政治的な対立のアクターが減れば減るほど、陰謀の 領域は広まる。民主主義が機能しているのなら、そして多元主義のもとバランスが保たれているのなら、どんな陰謀も成立しない。それなら、誰も陰謀を企てようと思わない。宮廷革命をするには、まず宮殿を建て、次に政府をその宮殿の暗い世界に閉じ込める必要がある。

トルコでのAKP政権に対する大衆の抗議は陰謀によるものではない。しかしこれらの抗議が始まった後、陰謀を企てた人たちに加減やまっとうな考えはない。 越えてはいけない一線がある。もしもこれらの抗議の原動力を陰謀と関連付けてしまえば、この国を陰謀者たちの作戦に付け入る隙を与えてしまう。なぜならば、そうすれば問題を理解できず、解決できないからだ。陰謀者たちの狙いはこれである。

トルコのエリートは変わった。新たなエリートたちは自分の文化をまだ築けていない。古い文化は、[それに]抗い、変化している。私たちは今一つの文化の衝突を経験している。[このため]皆が自分の居場所を見つけられるこの文化的な多元主義に合った、私たちを陰謀から守る政治理解が必要なのである。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:31059 )