アルンチ副首相、「一部の判決は重罪すぎる」―エルゲネコン裁判にコメント
2013年08月06日付 Hurriyet 紙

ビュレント・アルンチ(副首相兼)報道官は、タイイプ・エルドアン首相が以前口にした「イルケル・バシュブーをテロ組織のメンバー呼ばわりする者は、歴史が許すまい」という言葉について問われると、「ご覧のように、司法は我々の言葉に従うわけではない」と述べた。

アルンチ副首相兼報道官は、エルゲネコン裁判の判決について、「我々が判決を気に入るか気に入らないかということは問題ではない。これは司法の決定なのだ。我々は誰かが有罪になったり逮捕されたりすることを個人的に喜んだり手を叩いたりするような人間ではない。皆にお疲れ様でしたと言いたい」と語った。

アルンチ報道官は、閣僚会議終了後に次のように話した。

■判決は重すぎると言える
「私に言えるのは次のことだ。まずは皆さんにお疲れ様と言いたい。一部の判決は一部の人にとって重すぎるとも言える。相応しい判決を受けた者もいれば、相応しくない判決を受けた者もいる。ご存知のようにこれらの判決の大部分は、一つの罪のみによるものではない。複数の罪を着せられ、それらの罪が証明されたことによって判決を受けた者もいる。

■手を叩いて喜んだりしない
この判決を我々が気に入ろうと気に入るまいと、それに従わざるをえない。不当な判決を受けたと考える、感じる者は、自らもしくはその弁護人が控訴するだろう。我々は誰かが有罪になったり逮捕されたりすることを個人的に喜んだり手を叩いたりするような人間ではない。しかしこれは司法の決定である。今は誰もがそれに敬意を示さなければならない。私は被告人もしくは近しい人々による批判はどちらかというと感情的なものであると考えている。

■司法が我々の言うことを聞くわけではない
首相の『歴史が許すまい』という発言は覚えていないが、共に働いた参謀総長がこのように訴えられることを悲しく思うと首相が発言したことは知っている。これはとても自然なことである。ご覧のように、司法は我々の言葉に従うわけではない。司法は自らの書類に従い、自らの良心の裁きによって決定を下す。我々が気に入ろうが気に入るまいが、ある人物もしくはある集団に関する我々の発言が司法を動かすことはありえない。司法は自らの手元にある証拠とその件に関する自身の良心の裁きによって、判決を下そうと努めている。我々が気に入ろうと、気に入るまいと。

■党首に相応しくない
(クルチダルオール共和人民党党首がエルゲネコン裁判の判決を『非道』と評したことについて問われると)非道という言葉は、彼の本来の意図を大きく超えた表現だ。党首に相応しくない、政治家に相応しくない。いかなる政治家もトルコの公正な司法を、裁判所、を3権のうちの一つを、このような辛辣な言葉で非難することはできない。」

またアルンチ報道官は、(クルド問題)解決のための法案に関する作業が完了し、この件はラマザン・バイラムの後、エルドアン首相に報告されることを明らかにした。

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( 翻訳者:篁日向子 )
( 記事ID:31086 )