Ismet Berkan コラム:エルゲネコン―人権を守らない国家における正義
2013年08月06日付 Hurriyet 紙

何が起こったかは皆さんとっくにご存知でしょうから、私はどうあるべきかを説明したい。

1. 立憲民主主義における法源は、トルコも署名している国連世界人権宣言と欧州人権条約である。

2. 人権に関する2つの基本的な国際法の条文はそれぞれ、個人の自由という範疇に表現の自由も含めている。

3. 「クーデターが起きて、この政府が無くなればいいのに」と言うことは、ともかく表現の自由ではないらしい。立憲民主主義(国)においてこれを「自由」として認めるところもあれば、認めないところもある。私は、これは表現の自由の範疇に入ると考える者の一人だ。

4. 表現の自由の境界線は、暴力、暴力への呼びかけ、そしてヘイト・クライム(人種差別、宗教差別犯罪)の直前にひかれている。「クーデターが起きたらどんなにいいだろう、起きればいいのに」と言うことと、「さぁみんな腰を据えて、クーデターを計画しよう」と言うことの間には違いがある。2つめは世界のどこへ行っても罪である。

5. 罪ではあるがそこでも以下の点が考慮される。クーデター計画を口にする者たちは、たとえ計画したとしてもそのクーデターを実行できるのか?そのような能力、手段、可能性があるのか?

6. エルゲネコン裁判では、「クーデターが起きたら、どんなにいいだろう」と言った者たちと、「さぁクーデターを計画しよう」と言った者たちが一緒くたにされ、裁かれた。

7. クーデターを計画した者たちはこの計画を本当に実行した。捕まらないと思っていたのだろう、おそらくは。その計画をパワーポイント形式でプレゼンまでしたのだ。1つめの計画が失敗すると2つめの計画を実行した。クーデターを遂行できなかったからといって、彼らがこのクーデターを実行するために必要な可能性、手段、能力を欠いていたという意味にはならない。

8. この2つめの計画なのである。事件にこれだけの民間人を巻き込み、「渇きの中で雫も燃える(訳註:ことわざ。罪人と共に罪のない者が疑われ損害を被ること)」という批判の原因を作り、「クーデター実行者ではなく、反体制派が裁かれている」と言わせているのは。この批判は実に的を得ていると思う。

9. この第2計画(アイ・ウシュウ(月光)-カヤモズ(燐光))はまず、国内に「クーデターの雰囲気が生み出されること、十分な数の、そして影響力を持つ人々がクーデターを望む状況になること」を想定していた。興味がある方はこの計画のパワーポイントによるプレゼンをエルゲネコン・ファイルから見ることができる。

10. 裁判所と特に検察は、残念ながらこのコラムで説明されることが期待されるやり方では動かなかった。それどころか彼らに彼らなりのやり方があったということさえ難しい。この裁判が世間で十分に理解されていないことの1つの要因はこのやり方、方法論の不在である。

11. ほとんど議論されておらず、それについて書かれたものもごくわずかであるが、私から見れば核心的重要性を持っている点は、政府が、自らも密接にかかわってくるこの問題について、検察に対し内容に関わるいかなる協力をもしなかったことだ。

12. 無論、政府は警察を動員し、捜査を担当する検察を最大限擁護し、今日までなされてこなかったことを行った。しかしそこまでである。自身がもつ行政上の捜査権を検察に託さなかった。検察は政府がずっと前から知っていた一連の証拠にほとんど偶然たどり着いたと言っていい。(もしシェネル・エルイグルが「サルクズ(金髪の娘)」と「アイ・ウシュウ(月光)-ヤカモズ(燐光)」というクーデター計画やオズデン・オルネッキの日記を退役後に手元に隠しておかなければ、検察はこの計画や日記をどうやって見つけただろうか?退役少佐フィクレット・エメッキと仲違いしたある人物が、この不和を解決するためにムザッフェル・テキンに会いに行かなければ、そしてエメッキに関係するいくつかのデジタルデータを残さなければ、警察がエスキシェヒルのあの果樹園の家をどうやって見つけ、押さえることになっただろうか。何十もの爆弾と特殊部隊の文書はどうやって発見されただろうか?)

13. 政府はシェネル・エルイグルによって準備された「サルクズ(金髪の娘)」クーデター計画についてその時に情報を掴んでいたが、「アイ・ウシュウ(月光)-ヤカモズ(燐光)」計画は少し遅れて知った。もし政府が「サルクズ(金髪の娘)」を知った瞬間に、司法当局と自身の捜査権を行使していたら、全ては全く違った経緯を辿っていただろう。

14. 再び最初の話に戻る。表現の自由と「クーデター計画者となること」の違いに目を向けない、つまり人権に基づかない正義の結果を我々は見たのだ、昨日。我々は皆、有罪となった者たちのうち数人については同情できる。この刑を適切と見るか否か問うことができる。または他の者に処された刑と比較することができる。しかしトルコで表現の自由が意図的に限定されていることや、司法制度が、テレビで観るアメリカのテレビドラマには全くもって似ていないことを知るために、エルゲネコンの裁判を見るまでもなかった。

15. トルコは残念ながら羊のいないところで山羊をアブドゥルラフマン・チェレビーと呼ぶ(註:まわりが無能な人間ばかりだと、普通の人間でも優秀にみえてくる)人達の国だ。この状態はまだ続くように見える。この国ではエルゲネコン裁判で「大きな教訓」を得たと言う者もいるが、全く信じられるものではない。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:小野里ゆみ )
( 記事ID:31110 )