Murat Yetkinコラム:政府はギュレン組織に「強制捜査」?
2013年08月14日付 Radikal 紙

政府と「ギュレン教団(社会奉仕)」の間に横たわる緊張は、過去に遡る深い根があると知られている。ここ最近新聞コラムに上っている議論は、(「奉仕」の明確な代表者である)新聞記者財団(GYV)の発表により新たな段階に入った。GYVの発表では、政府による自分たちに向けられた行動の意図が問題であると指摘している。

「…上記の主張のうちいくつかを話題として記事にしている人が『1人の検察官が、3人の警官とともに「社会奉仕」をテロ組織、武装組織の枠組みに入れ、壊滅させる』といったような暗い意図を表明していること、そしてこれに加え、教団に対し立場をわからせるため塾閉鎖の考えを口にしていること、奉仕に力を注いでいると考えられている人々を官僚機構から一掃すると口にしていることは、辛いことではあるが、深層国家を反映し、ポストモダン・クーデター時代を思い起こさせる…。」(議論 が「行動」の可能性を含んで行われていることは、法と政治の関係が未だ通常化していないことの証拠である。)

アルンチ(副首相)の警告は、議論が達した規模を表している。
「何かを口実にして政府の行動を高所から批判したり、誰かを喜ばせたりすることは正しいことではない。あらゆる困難にも関わらず、首相はこの国を非常に上手く マネージしているのだ…。名前をはっきりと言ったり、仄めかしたりして政党の重要人物を酷評するのは、あまり相応しくない。我々は、自分たちの良好な関係(維持に)尽くすつもりだ。首相はホジャ・エフェンディに対し、よい感情を抱いているが、彼の考えは政府のトップ[の立場]にあるということだ」

■国家諜報機構(MİT)作戦の敷居

これから2年以内に3つの重要な選挙がある。与党と野党がこの選挙のために異なる戦略を適用しており、異なる方法を行使しようとつとめている。教団は、この「政権の争奪戦」において重要な立場にたっており、一「影響力」としての役割を果たすチャンスを持っている。

「教団に近い」人々はゲズィ事件のとき、完全にとはいかないまでも、相当の割合で、批判的な態度をとったことがわかった。この差異は「教団・政府間の関係」において、おそらくはグラスを溢れさせる最後の滴であった。

GYVの報告では次のようなことが書かれている。「…社会奉仕運動寄りのメディア組織のいくつかが、クルディスタン社会連合(KCK)と関わる国家諜報機構(MIT)の捜査をも、この流れに関連づけ肯定的な見方をしていることは、(教団が)首相に対する陰謀に関与しているとの主張を決して肯定するものではない…。」

教団周辺がこのような弁解を行ったとしても、MİTトップに向けられた作戦が直接首相を標的としたものであるという見解を首相自身が述べていた。この「ひずみ」を基本とするなら、教団と政府の間にある根本的な隔たりが「解決プロセス」により生まれたものであると考えることができる。他の線から見てみると、[親]イスラム層の中の近代化と民主化に関する異なる選択を通じて、私たちは評価にいたることができる。双方が相手を「傲慢」で「権力の毒に侵された」と責めている事態の推移の中にいるのだ。

■今後どうなるか…

「今後何が起こるのか?」という問いへの回答を探すにあたり、考察に値するヒントがいくつかある。

政府は教団に対し「行動」を起こさない。しかし、官僚機構の一掃は継続する。教団も選挙までは、[自分たちの]有権者としての潜在性を切り札としてキープするだろう。(「[教団の]支持基盤は3%よりはるかに多いだろう」という主張は、このように解釈することができる。)

地方選挙も重要だ。教団はいくつかの地域で決定権を持つ重みを形成し得る。AKPが地方選挙で失敗すれば、教団は、アブドゥッラー・ギュルを通して攻撃する可能性がある。

この「関係」におけるイニシアチブは、未だ、そして実際、政府の手の内にある。攻撃は、政府の方がより多く行っている。こうした立場が短期間で変わりえないと思う。なぜなら与党となる可能性は限られているからだ。しかし、ゲズィ事件の後、現在に至るまで教団はさらに声を大きく発していく可能性を見出した。

[ムスタファ・]バルバイの「9月は熱く過ぎるだろう」という文を、こうした分析の中から読み取ることができる…。

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( 翻訳者:釘田遼香 )
( 記事ID:31240 )