Tanil Bora コラム:私たちにはふさわしくない―2020年オリンピック招致
2013年09月05日付 Radikal紙

マドリードの立候補は4回目だが、最大の問題は経済だ。マドリードは、スペイン経済が陥っている緊縮予算のなかで、「いったいどの金を使ってやるんだ」という目で見られている。東京の弱点は、2011年の地震で影響をうけた福島原子力発電所の汚染水のもたらすリスクだ。とくに、今週になってこのリスクが大きくなったとの報道で下降線という雰囲気。東京にはもう一つ小さな弱点がある。ナオキ・イノセ市長の暴言癖。ある会見で、イスタンブルは開発途上国で、今後の投資が必要で、さらには結局のところイスラム教徒の国は、「彼らの神と、お互いの間での争い」に終始していると発言した。日本オリンピック委員会は、この発言を忘れてもらうためにどれだけ苦労したことか。

イスタンブルの弱点の第一は、世界のメディアが冷静な言い方でいうところの「政権の、反対者に対する暴力的な態度」、第二は、最近、さまざまな競技で30人近い選手に関して発覚したドーピング問題だ。

こんなことで、7つの丘をもつイスタンブルは、頂上に立つごとができるのか?

■トキ(のもの)になる!

ト~~キ!そう、以上のことは、イスタンブルの可能性を損なっている。しかし、それとは別に、外からはよく知られていない別の問題に触れよう。狂人的な建設!首相府に属すトキ(TOKİ、集合住宅局)の中に作られたオリンピック部は、「もしオリンピックがきたら」、そのために行われる建設事業の全権をもっている。現在、町中を、夏の綿叩きのようにぼこぼこに叩いている連中が、イスタンブルをどうするか、考えてみてもらいたい。すべての国がその偉大さを示す機会だと考えるオリンピックを、イスタンブル中に高層建築をぶちたてることにだけ熱中しているトキが、どうなふうにしてしまうか、考えてもいるがいい。トキは、5つの大陸を代表するオリンピックの輪を、勝手に自分のものにしてしまうことも辞さないだろう!

そもそも、近年のオリンピックで最も議論されている問題の一つは、都市開発の口実としてそれが果たしている役割だ。町の中心部を密集化させ地価をあげ、新しい高級住宅地を開発して貧困者を町の周辺に追い払う、全般的な自治体のサービスのコストを高くする、そういう変化のことだ。

1992年のバルセロナ・オリンピックは、こういう点で最も語られた例だ。直近のロンドン・オリンピックも、この面で、大きな不動産投資の手段となったとみられている。オリンピック計画で当該都市生活者の発言権が制限されていることは、どの例でも問題になっている。トキスタン(=トキ王国)の言語には、住民参加なんていう単語は、そもそもないのだし・・。

オリンピックがイスタンブル都市整備の点で何をもたらすかは、ミマル・スィナン大学の都市計画学科による「2020オリンピックは、機会か、脅威か」というパネルで徹底的に討議された。その中身は、ここから読める(http://bit.ly/15DgQUM )。

■ゲズィ運動は影響するか?

「ゲズィ効果」というのは、無視できるものではない。強力な脅迫という危機感をもった政治権力が、ちらっと動くすべてのものに催涙ガスをぶちまけ、こん棒を振り回した態度は、もちろんオリンピック精神にふさわしいものではない。それとは別に、トルコでは、スポーツ運営が、一面では、警察の業務の一部だと考えられているという問題もある。イスタンブルが、オリンピック政権下に入った場合、だれがどんなやり方で、「警備」をするか、わかったものじゃあない。「軍事外出禁止令」さながらに、「オリンピック外出禁止令」がしかれるに違いない。

そろそろ、オリンピック候補競争のもう一つのマイナス要素であるドーピング問題について話そう。個人的には、ドーピング問題はもっと根が深いものだと思っている。もちろん、ドーピング問題はトルコに固有のものではない。しかし、結果本位のスポーツ文化には、つきものだ。

結果本位という点も、もちろんトルコ固有のことではない。たとえば、かつての東ヨーロッパでは、ドーピングは日常茶飯事だった。しかし、そこでは大勢のスポーツ選手群のなかから目についた選手に、化学物質が与えれていた。トルコでは、薬物が見つかったかどうかにかかわらず、メダルをとったり上位入賞したりすべく選出された人の背後には、それほど多くの選手群がいるわけではない。そもそも彼らには、モチベーションも経済力もないのだ。

つまりいえば、トルコはスポーツ大国ではない。スポーツは、非常に例外的な行動だ。2009年にも書いたことだが、青少年スポーツ総局のデータによれば、大学でスポーツをやった人の数は1,606,554人。現役のスポーツ選手の数は、291,985人だった。この数は、5年で5倍になったと自慢された数だった。それから現在まで、大学でスポーツをやった人の数は、270万、現役スポーツ選手の数は、40万7千に増えた。しかし、人口の5%を少し超えた程度の数だ。50%近くの北欧諸国や、30%のドイツはおくとしても、ポルトガルは19%、ギリシャやブルガリアでも10%を超えている。

その上、水泳、陸上、体操といった中心的なオリンピック種目をやっている選手の数が、全スポーツ選手の10%にすぎず、サッカー以外の全競技の4分の3は、東アジア起源の(マイナーな)スポーツをやっているという事実を考えるてみるといい。トルコは、スポーツにかける予算を、まずは、人々が本当にスポーツに親しむために使うべきではないのか?
(中略)

■もう少ししてから・・・

少し悲観的すぎるだろうか?オリンピック自体は、トルコのスポーツ文化をかえ、よくするための牽引車となると思われるかもしれない。そうかなあ。まずは、少し志をさげ、世界陸上選手権とか、世界水泳とか、それらで経験を積むべきだ。オリンピックは、どうせ、4年に1度は、また行われるのだから・・・。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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(翻訳者:トルコ語メディア翻訳班)
(記事ID:31380)