2020オリンピック、逃す
2013年09月08日付 Yeni Safak 紙


2020年オリンピックに向けたあらゆるアンケートで本命と目されていたイスタンブルは、アルゼンチンで行われた投票で東京とともに決選投票に残った。何百人もがスクリーンに釘付けになった投票で、封筒から出されたのは東京だった。

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにおいて、昨日(7日、日本時間8日)は歴史的な日となった。イスタンブル、東京、マドリードは、「2020年夏季オリンピック・パラリンピック」の開催国となるための熾烈な競争を繰り広げた。ゲズィ公園事件まで本命と見られていたイスタンブルは、決選投票に残った2国のうちの1国とはなったものの、この巨大イベントの開催は東京に任された。国際オリンピック委員会(IOC)の第125次総会で、候補国のトルコ、日本、スペインは最終プレゼンテーションを行った。トルコは、まずG-20サミットのために訪れていたロシアでの交渉の後16時間の旅程を経てアルゼンチンに到着したエルドアン首相に率いられ、IOCに対面した。

■エルドアン招致団長

プレゼンテーションには、アリ・ババジャン副首相、スアト・クルチ青年スポーツ大臣、カーディル・トプバシュ・イスタンブル広域市長、ウウル・エルデネル・トルコ国家オリンピック委員会(TMOK)会長、イスタンブル2020年五輪招致委員会のアリ・キレミチオールCEO、アルプ・ベルケル・スポーツディレクター、ハサン・アラト招致委員長、TMOKのネシェ・ギュンドアン事務総長、トルコ代表ギゼム・ギリシュメン選手も参加した。ハサン・アラト委員長がプレゼンテーション開始のスピーチを行い、その後エルデネル教授、アリ・ババジャン副首相、スアト・クルチ青年スポーツ大臣がプレゼンテーションを行った。最後にエルドアン首相が壇上に上がった。

■2首相もプレゼンテーション参加

その後日本とスペインの代表団のプレゼンテーションが行われた。日本の安倍晋三首相とスペインのマリアーノ・ラホイ首相も自国の招致団を率いた。

■マドリードと対決

プレゼンテーションの終了とともに、トルコ時間21時45分、無記名の電子投票が行われた。委員会には103名の委員がいるが、ジャック・ロゲ会長と3候補国の委員は投票ができない。投票には97名が参加し、マドリードとイスタンブルが同数の票を獲得、42票を獲得した東京はストレートで決選投票に進出した。マドリードとイスタンブルの間に改めて投票が行われた。無効票はなく、計94名のIOC委員が投票を行った。イスタンブルは49票を獲得し、決勝に残った。マドリードは45票で脱落した。

■決選投票で逃す

(3位決定の)結果を受けて、メディアセンターのトルコメディア関係者の熱狂が世界中のメディアの関心を引く一方、スペインの新聞記者たちが大きなショックを受けている様子が見られた。その後決選投票に映った。決選投票に残った2都市は、同時に会場に招かれた。ロゲ会長は、巨大イベントの開催国として、60票を獲得した東京がその権利を得たことと述べた。イスタンブルには36票が投じられた。結果発表を受けて、日本の2020招致団は大歓喜に包まれ、イスタンブル2020招致団は悄然として結果を受け入れた。「明日を見つける」というスローガンで出発した東京は、2回目のオリンピックを行うことになる4つの都市の仲間入りをした。

■以前にも4度切望

トルコが立候補することは、2011年7月7日に表明され、公式には2011年8月13日にエルドアン首相によって宣言された。オリンピックに当初立候補していたローマが辞退し、ドーハとバクーは、2012年5月24日にカナダのケベックシティで行われたIOC理事会での第1次選考の投票で脱落した。このようにして、決戦はイスタンブル、東京、マドリードに残された。2000年、2004年、2008年、2012年を経て5度目のオリンピックを切望するイスタンブルは、昨日公式候補として3度目の投票に臨んだ。

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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:31388 )