シリア内戦の第三勢力
2013年09月15日付 Hurriyet紙


我々はシリア北部、ロジャヴァにいる。アサド政府軍の撤退後、ヌスラ戦線との大規模な衝突が起きている。この地域ではクルド人だけでなく、トルクメン人や、自分たちの教会が攻撃の標的となっている少数派のキリスト教徒もヌスラ戦線と戦っている。

シリアでは、私たちのすぐ隣では、人類史上最も恥ずべき時代の一つを迎えている。私たちの多くがインターネットで見るに耐えなかった、首を切断している奇妙な風体の男たちは、ここでは現実そのものだ。あの連中を、世界各地から一体どんな勢力が集め、そして何のためにこの地へ連れてきたのか?何のために彼らを、シリア北部のロジャヴァに住む人びとの前に連れてきて、そして放置したのか?

ここではアサド政府軍が撤退した後、ヌスラ戦線が表に出てきたという。クルド人やトルクメン人、少数派のキリスト教徒がターゲットにされた。教会が襲撃され、壁には「神の許しを得てお前たちを根絶する」と書かれていたそうだ。アサド政府軍がこの地域を放棄するや、ヌスラ戦線と直面することになった市民は、自分たちで自らを防衛している状況にある。以前、地域のクルド人が中心となって、異なるグループを一つにまとめた、16の集団から成るデステヤ・ビリンド(Desteya Bilind)という名の高等評議会が設立されたそうだ。この評議会の中にはトルクメン人も少数派のキリスト教徒も含まれる。評議会の武装勢力であるYPGはトルコでPKKの系列として知られるPYDと繋がりがあると見られている。だが一方で、YPGは内部にトルクメン人や少数派のキリスト教徒も抱えており、より広範囲な勢力なのだ。彼らはシリア内戦の第三勢力を構成している。アサドの敵であり、政府軍が撤退した後にこの地域を占領しようと企むヌスラ戦線に対しても敵なのである。さてシリアの第三勢力からみた光景とは。

■ヤズィーディーの首も切られている

PYDセレカニ支部幹部
ジヴァン・ムスタファ博士
PYDはクルド人のための集団ではありません。アラブ系やスンニ派、異なるエスニック・グループも受け入れる集団なのです。YPGは我々と一緒に、異なる16の集団から成るデステヤ・ビリンド(Desteya Bilind)の中からうまれました。我々はロジャヴァもシリア全土も含む形で活動しています。問題は単にロジャヴァのクルド人だけの問題ではありません。クルド人と同様に、そのほかの民族グループも脅威にさらされています。クルド人の首が切られています、アラブ系もヤズィーディーもそして他のグループも…

■戦士たち

父が私をここに連れてきた
セラヴ
戦争の前は学校に行っていました。11年生でした。家から学校へ、学校から家へ通っていました。私は大学に入って医師になりたかったです。父はいつも、娘たちが勉強して、ひとかどの人間になるように願っていました。私も姉妹も、だから勉強したかったのです。戦争とともに学校もなくなってしまいました。父は私をYPGに連れてきました。戦線にはまだ参加していませんが、後方陣営にいます。

自由シリア軍から逃げて戦線に参加した
チヤ―アラブ系
私たちはアサド体制に全く満足していませんでした。当時ある人物と知り合いました。その人は自由シリア軍にいました。私も自由シリア軍に4日間いました。二日目に私たちはある地区へ出向きました。私は見張りで彼らを外で待っていました。彼らはとあるアパートへ入っていったのですが、戻ってくると車には冷蔵庫や洗濯機、金やその他家財道具が積んでありました。疑わしいと思いましたが話しませんでした。三日目も同じことがあったので、「我々は革命をするはずじゃなかったのか」と言いました。彼らに間違ったことをしている、と言いました。四日目にそこからこっそり逃げ出しました。数日後、彼らはバイクで通行中に私を見つけ、すぐに捕まえました。そして一言もしゃべらないで私の頭を殴りつけ、胸を銃剣で刺しました。彼らは私が死んだと思い去っていきましたが、一組の夫婦が私を道で見つけたそうです。女性は私を知っていて私の家族に連絡をしたそうです。約25日入院していました。6か月後、治療が完全に終わってからYPGに入りました。

家族全員で戦っている
アギト、25歳、クルド系
YPGが戦いを始めてから、家に誰もいなくなりました。まず姉がYPGに参加しました。そのあと私と兄弟がYPGに入りました。父も地区の協議会で戦いを支持しています。私は母にこう言いました、「お母さんも行って、食事を作る手伝いをして」と。兄一人だけが働いていますが、家を見る必要があるのです。

みんなを守っている
ディンダル・ハバト、トルクメン系
最初は自由シリア軍に入りました。人びとを守っていると言っていました。一週間が経ち気づくと彼らは薬物を使用していました。人びとに拷問を与え、家々に押し入ってお金を盗っていました。もし渡さなければ拷問していました。その後私は仲間を抜けました。そしてYPGに入りました。アラブ系、クルド系、トルコ系、みんなを守っています。

■キリスト教コミュニティ

ヌスラ戦線は息子を誘拐した
(MHさん)ヌスラ戦線は23歳の私の息子を誘拐しました。その時セレカニはあいつらの手中にありました。YPGは連中をまだセレカニから追い出していませんでした。彼らは身代金を要求してきました。シリアのお金60万で息子を解放しました。彼らのところには他の子供たちもいました。彼らにひどい虐待をしているようでした。息子が戻ると私たちは彼を別の場所にやりました。二人の私の娘はアレッポの大学へ通っていました。戦争の後、道が閉ざされました。私たちがアレッポへ行き来することも、彼女らがここに来ることもできません。今電話も切断されていて8日間全く情報を得られていません。

神が彼らをお許しくださいますように!
(GFさん)今ヌスラ戦線は市を制圧するためにYPGと戦っています。ヌスラ戦線が去って以来、心理的にとても安心しました。ヌスラ戦線がここにいた際、髪の毛を隠していない一人の女の子を見つけ、彼らは「首を切断する必要がある」と言いました。私たちはそれ以来髪の毛をまとめるようになりました。かつて教会は人で溢れていました。日曜日は毎週人でいっぱいでした。ここは神聖な場所なのです。ヌスラ戦線は全ての場所を破壊しました。彼らは一度に二つの爆弾を置いたのですが、神様のおかげで、爆発する前に気づくことができました。教会のこの状況に、私たちはとても心を痛めています。一つだけ私が言えることは、神が彼らをお許しくださいますように、ということです。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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(翻訳者:小川まどか)
(記事ID:31450)