Nagehan Alçıコラム;ユルマズ・ギュネイが生きていたら、PKK支持者になっていたか
2013年09月29日付 Milliyet 紙

第3回ローマ・トルコ映画祭で一人のイタリア人記者が、「ユルマズ・ギュネイは、クルド人ではないのか。なぜどこにもクルド人と書かない のか」と尋ねなければ、パンドラの箱は、再び開かなかっただろう。実際、ユルマズ・ギュネイについてはなんと言うべきなのだろうか。クルド人か。トルコ人か。あるいはクルド系トルコ人か。昨日の本紙のアイシェギュル・ソンメズのコラムを読んでいて、疑問が浮かんだ。

ギュネイは、国外で過ごした晩年に常にクルド民族主義者という語り口であった。トルコにおいて、「醜い王」として大衆化した60年代、と同時に政治映画の監督としてスターになった70年代においてはというと、クルド人のアイデンティティを全く強調しなかった。これは、その時代のトルコにおいて不可能であった。 もし、ギュネイがその時代にクルド人のアイデンティティを強調していたとしたら、国家だけでなくすべてのトルコ芸術界の標的となっていただろう。精神がケマリズムによって形成されていたトルコ芸術・映画界は、彼を追放したことだろう。

ギュネイは、70年代において、政治映画の監督として社会主義者としてのアイデンティティを前面に出した。トルコ芸術・メディア界において、左派のケマリス トもクルド人を強調しないギュネイの社会主義性を認めた。84年に亡くなった時、PKK(クルド労働者党:非合法)は、まだ頭角を現しているころだった。もし、ギュネイが生きていたら、PKKのヨー ロッパでの最も重要な支持者の一人であっただろうと考えている。クルド民族主義者の系統と認識から「クルド芸術家」として語られたことであろう。

私は、芸術家あるいは知識人の立場と、本人がいかなるアイデンティティで語られるかには、密接な関係があると考えている。たとえば、ファティフ・アクン の国籍はドイツ、フェルザン・オズペテキはイタリア、しかし、二人の監督ともトルコ文化の中で育ち有名になった。彼らはその国でも「トルコ人」である。メフメト・オズやアフメト・エルテギュンはというとそうではない。アメリカでとても有名であるが、トルコ人としてのアイデンティティを強調しなかった。アメリカのどこの誰にもオズ博士といえば誰のことかわかる。ニューヨークのツアーでウッディー・アレンとデンゼル・ワシントンの家の次に紹介されるが、誰も彼がトルコ系であることを知らない。彼は単にアメリカ人である。エルテギュンも同じである。トルコ人を援助したが、仕事の中でトルコ人というアイデンティティを強調しなかった。

国内でも状況は変わらない。例えば、ケマル・クルチダルオールは、デルスィム出身のクルド人であるが、クルド人であることを全く前面に出さなかった。彼 は、私を含めたすべての人の目に一人のトルコ人、「トルコ人政治家」として語られよう。前外相のヒクメト・チェティンが、クルド人でありながらトルコ人政治家として認識されていたように。したがって、イタリアのコラミストが映画祭で向けた批判は的を得ている…。

■共和人民党のアンカラの候補者

地方選挙の最も紛糾する問題の一つが、共和人民党の大都市の候補者である。もちろんイスタンブルに関してムスタファ・サルギュルが、党に戻ることは話題である。かなり高い確率で、数日中にこれに関する進展が見られるだろう。では、アンカラでは何が起こるだろうか。副党首のアダナン・ケスキンは、ムハレム・ インジェを示した。インジェを支持する層ではそう言われている。しかし、共和人民党の内部の情報提供者は、周囲からの要請というより、ムハレム氏本人が候補者になることを望んでおり、クルチダルオール党首はというと、アンカラに関しインジェよりもハルク・コチにしたいとの強い望みがあると述べている。もちろん結果は今後のことだ。しかし、もちろんアンカラでの選挙は非常に難しい。メリフ・ギョクチェ現市長を破ることは、ほぼ不可能であると触れておくべきだ。

■イェシルチャムもクルド映画である

ウール・ユジェイが同じ会議で、「ユルマズ・ギュネイは、全くクルド映画を製作しなかった」と述べた。その通り。あの時代無理だった。しかし、今はもう別のトルコである。現在のトルコにおいてはクルド映画を製作することができる。クルド語映画も普及することができる。ク ルド人のアイデンティティと文化を、トルコ映画の中で強調できる。

■頂点には二人のクルド人芸術家

興味深いことがある。90年代まで文学におけるオルハン・パムク、映画におけるヌリ・ビルゲ・ジェイランといった人物が登場するまでは、文学と映画の頂点 には二人のクルド人芸術家が君臨していた。この二人にはさらに共通の特徴がある。二人ともアダナに移住した家族の子供であった。ヤシャル・ケマルとユルマ ズ・ギュネイである。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:31565 )