Sahin Alpayコラム:民主化法案に賛成!だが十分ではない…
2013年10月01日付 Zaman 紙

戦略的な(長期的な)意味で人類の、そしてその一部としてのトルコの未来に対し、私は楽観的な見方をしている。

この楽観主義の根底には、批判的思考への、つまり人間は理性(知性)を用いながら、自らが犯した過ちを正す能力を有していることへの私の信頼がある。歴史を見れば、社会が、批判的(自身をも問い正す)思考が行きわたっている状態に到達することが、全く容易ではないことを我々は知っている。批判的思考が生み出した政治秩序である自由主義的で多元的民主主義を定着させるためには、どの地域であれ(どの国々であれ)難しい闘いが必要であった。すなわち、世界の大部分で未だ定着していないのである。この分野における歴史の長い国々(定着して久しい国々)においてさえ、様々な問題を抱えている。

突き進むべき長い道のりがあり、時には後退に見舞われることもあるけれども、人類はより自由で公正な未来に向かって進んでいる。大きな危機が乗り越えられた。人類は、批判的思考を押しつぶしたナチズムを打倒し、ファシスト体制の多くを排除した。コミュニズムをも乗り越えてきた。ロシアと中国では、直接共産主義政党が主導して乗り越えたのである。確かに、ロシアでは代わりに権威的な「ワンマン体制」が敷かれたが、ロシア人たちはかつてと比べて今では、より自由に、未来を希望とともに見ることができる。確かに、中国では共産党が独裁を続けているが、繁栄と自由化への期待はかつてと比べると計り知れない。

確かに、今日も人類は気候変動をはじめとする大きな脅威に直面している。しかし、批判的思考を用いながら、この脅威に打ち勝つことは不可能なことではない。確かに、暴力行為はグローバル化するコミュニケーションのために、多くの目に触れるようになったが、統計的には暴力や戦争による破壊はかつてより減少している。

トルコも批判的思考を用いながら、過ちに学び、さらに自由で公正な社会に向かって進んでいると私は信じている。私の若い頃は、トルコの知識人たちのあいだでは、批判的思考、自由主義的で多元的な民主主義に信頼を寄せるものたちは非常に少数派だった。それが今日では、独裁体制に信頼を寄せるものが少数派だ。今日のトルコは、私の若い頃のトルコに比べてはるかに自由で繁栄している。

タンズィマート改革によって法治国家の道を、そして第二次立憲制によって民衆を主体とする統治の道へと突き進んだトルコが、徐々に個人の諸自由と集団の諸権利をも含めた民主主義を定着させる方向に進展しつつあることは否定し得ない。一方で世俗的な、他方でイスラーム的な近代化の支持者たちの営為によって、トルコが今日、ムスリムが多数派を占める国々の中で、民主化の経験という点で他に類を見ないような地位にあることを誰も否定し得ない。権威主義的近代化を経験した後に、1950年に複数政党制を経て始まった過程のなかでトルコは、数度のクーデタによる全面的な後退や激しい弾圧にもかかわらず、自由主義が徐々に拡大するのを経験した。今日においても、我々は自由主義的で多元的民主主義を定着させることはできていないが、敬意をもって批判を受け止め、批判から教訓が導き出される限り、将来を楽観的に見ることができる。

昨日、首相の発表を聞きながら、私は基本的にこのようなことを考えた。発表された民主化法案には間違いなく「Yes!」だが、トルコがEU基準の民主主義を実現し得るために十分であるとは甚だ言い難い。首相がこれを提出したこと、すなわち、今日の野党の抵抗にもかかわらず、社会の強力な支援を得ずして前進は覚束ない、と強調したことは、首相の演説において私がもっともだと思った点である。首相が再び全社会を包括する物言いに戻ったことは、発表を聞いていてもっとも喜ばしく思った部分でもある。

改革プロセスが再び展開し始めるだろうという期待を高める民主化法案の中身について、私のコメントは次のコラムにて。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:幸加木 文 )
( 記事ID:31590 )