Taha Akyol コラム:オジャランとKCK
2013年10月21日付 Hurriyet 紙

クルド(民族解放)運動におけるクルディスタン社会連合(KCK)は、オジャランとは異なる路線にゆっくりゆっくり向かっている。この状況は(クルド問題の)解決を困難にさせている。

さらに、平和民主党(BDP)はいわゆるオジャラン支持者であるが、核心部分ではKCKへの忠誠の態度を示しており、状況を大いに混乱させている。KCKの名の下でまずジェミル・バユク、後にはさらに幾分政治的な言葉でカラユランが「(トルコ領内からの)撤退の停止」と「プロセスの行き詰まり」を公言した。これを受けて、(人々の)関心がオジャランへと向けられた。オジャランは10月18日にBDP党員を介して穏当な声明を公表した。

「進めている試みは重要である。多大な力をはらって進めている試みは社会を安心させた。大きな地震は収まったが、山のような問題が私たちの前に留まり続けている...。(和平)プロセスと関連する希望を守ることによって、ともにこの希望を失わせないために、歴史的呼びかけをもう一度繰り返す…」。

■KCKの戦争演説

オジャランのこの発言から3日後、10月18日にKCK執行委員会のベセ・ホザト共同代表、同委員会メンバーのサブリ・オク、ムスタファ・カラスが、組織のTVに出演した。そのときの発言は以下の通りである。

「法案は、植民地時代の精神を表している…。政府の民主化法案はプロセスの終焉を宣言した。政府は数日以内に決定しなければならない…。私たちは地域の闘争を開始するかもしれない」。

カンディル、KCKあるいはPKK(クルディスタン労働者党:非合法組織)のいずれであれ、最終的目的としての「武装解除」にまったく言及せず、最近のあらゆる発言の核心は「プロセスは終了し、武装闘争への回帰」となっている。

大変重要なもうひとつの現実は、民主的な口調での発言が期待されるBDP党員もKCKと同様の発言をおこなっていることである。ギュルタン・クシャナクは「話し合いが終われば、武装闘争に回帰する」といっている。

ベシル・アタライ副首相がオジャランについて、「より理にかない、学び、知り、評価している」との発言は事実を反映するものである。

■西側の手本

この状況はPKK-KCKが主導するクルド(民族解放)運動が北アイルランドとバスク運動とは全く異なるものであることを示している。それらにも武装組織とは関係のない民族的愛国主義者と民主的な政党があり、交渉プロセスで武装解除のために組織に圧力をかけた。私たちの方(トルコ)では党を組織がおさめており、(政党組織の)代表や候補者は組織によって承認されている。

[現ディヤルバクル市長の]オスマン・バイデミルが「[ディヤルバクル市長]候補者は女性となる」との[BDP側の発言で]引きさがらせられることになったとは思えない。バイデミルは以前に2010年11月に「武装闘争に戻る」と発言し、その際オジャランの激しい怒りを被り、KCKから疑問が出され、彼の許に「共同代表」が置かれることになった。つまりクルド人のインテリのイフサン・アクソイの評価によれば、政治委員である。今、彼は候補者から外されている。

クルド民族解放運動で組織(PKK)と関係のない民主的な政党は存在せず、武装集団が全体主義的統制でクルド人の運動を支配していることが、(平和的)解決の民主的手順による実施を妨害している。

■[解決における]オジャランの役割

武装した全体主義的集団にとって、「解決」の意味は地域で自らの全体主義的支配を設けることである。「平行した国」[を設けるという]の取り組みもこれに起因している。2007年5月に明らかとなった「KCK合意」はこの記録にある。

しかし、もはや「歳をとった」と語るオジャランが政治的発言をおこない、自身の政治的地位を高める「対話」手法を進めることに戸惑う側面はない。テロではなく対話で、民主的な手段を通じての解決を進めるならば、交渉相手はオジャランであり、進行しているのもこれである。

オジャランが「崇拝」対象となった全体主義的秩序にはカリスマ性がある。特にまとまりのない大衆については…..。しかし、「現場」の武装組織は口ではオジャラン崇拝を継続させているような行動をとるが、実際にはオジャラン抜きの態度を押し進めている。

長く、細く、鋭く紆余曲折に満ちているプロセスだ….。

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( 翻訳者:岸田圭司 )
( 記事ID:31748 )