佐々木裕滋氏、戦争犠牲者に対する共感の必要性を訴える(下)
2013年10月12日付 Mardomsalari 紙

 佐々木氏は、鶴たちが世界中を回ることになった経緯について、「この旅は2007年にアメリカのニューヨークを皮切りに、それ以来2009年にオーストリアのウィーン、2012年にアメリカのハワイへと行われてきました。そして最新の鶴の旅として、2013年のイラン訪問が実現したのです」と述べた。

 禎子さんの甥である同氏は、折り鶴が海外を訪問するにあたって、どのような気持ちが必要かについて、次のように語った。

共感という名の感覚が必要です。この感覚がなくならない限り、また禎子への共感が存在する限り、この旅は続けられることでしょう。その他の国々の子供たちには、禎子の身に何が起きたのかを知り、彼女への共感を感じることが必要です。禎子自身の手で折られた折り鶴は、禎子と彼女が感じた痛みの最高のシンボルとなり得るものです。禎子はこうした鶴たちをたくさん折りました。この子のメッセージを伝えるために、これらの鶴をその他の国々に寄贈することを彼ら〔=SADAKO LEGACY関係者〕が決めたのも、こうしたことが理由です。禎子は戦争がなくなること、〔世の中が〕良くなることを望んでいました。健康な生活を送ることは、彼女の正当な権利だったにもかかわらず、です。

 同氏は折り鶴のニューヨーク訪問について、「共感のために、鶴はニューヨークも訪れました。人々に禎子への共感を感じてもらうためです」と話した。

 佐々木氏は、児童映画祭で採用された「戦争の渦中にある子供たちの権利の保護」というスローガンについて、「とてもよいスローガンです。戦争の真の犠牲者は子供たちです。このメッセージと共に、私たちは『子供を守れ』と言っています」と述べた。

 折り鶴に関する映画を制作する予定のスィールース・ハサンプール氏は、自身の広島訪問について次のように述べた。

私たちは〔脚本家の〕ノグメ・サミーニーと一緒に、平和記念資料館に行き、鶴たちの旅について知りました。そこで私たちは、これらの鶴のイラン訪問を〔SADAKO LEGACY関係者に〕提案し、〔その旨を〕ファーラービー財団にいる友人たちに伝えました。彼らはその提案を歓迎し、〔ファーラービー財団会長の〕ミールアラーイー氏がその後〔日本に〕やって来ました。彼は、サダコ財団の代表者らをイランに招待し、折り鶴を児童映画祭のためにもってきてくれるよう頼みました。今回それが実現したというわけです。

 同氏は〔自身が監督を務める予定の日・イ合作映画『四羽目の鶴』(仮題)の〕映画の脚本が用意され、同映画の制作準備が進められていることについて、「〔化学兵器による攻撃を受けた〕サルダシュトの犠牲者たちを想起させるようなものを含める形で、脚本を書きました。あるコンペティションを経て、最終的に鶴のイラン訪問が決定されるという筋書きとなっています。もちろん、折り鶴像の除幕式の様子については、昨日撮影を済ませており、恐らく映画の中でそのシーンが使われることになるでしょう」と述べた。

〔‥‥〕



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:5213003 )
( 記事ID:31751 )