Taha Akyolコラム:スカーフ問題の文明的解決
2013年11月01日付 Hurriyet 紙

スカーフ問題は何年間も続いた迫害やけんか、さらには軍事介入を乗り越え、ついに文明的な解決策にたどり着いた。国会で禁止が解かれたのだ。

これに最も納得いっていないのは共和人民党(CHP)である。にもかかわらず彼らは大人の対応をした。シャファク・パヴェイ氏は最も厳しい批判を笑顔で冷静に行えることを証明した。彼女のやり方をビュレント・アルンチ氏[公正発展党副党首]も称賛した。

アルンチ氏のコメントは勝利演説とは程遠く、静かで真剣で異なる意見も尊重する公平なものだった。リベラルな民主主義者も認める内容だった。

平和民主党(BDP)のペルヴィン・ブルダン氏がBDPらしい好戦的な方法ではなく、「女性」の問題の枠内でコメントしたことも良かったと思う。

しかし最も良かったと思ったのは、ルフサル・デミレル氏のコメントだった。

■「私たちの人生に干渉しないでください」

民族主義者行動党(MHP)のルフサル・デミレル氏のコメントは、伝統的な男性優位の権威に対する簡潔な異議申し立てだった。しかしデミレル氏のコメントを私が最も気に入った理由は、彼女の次の言葉だった。

「全ての人が自分の信仰に基づく自由を享受できるようにするべきだ。信仰とは自由だ。人々の自由の範囲を拡大することは国家の責任だ。トルコで現在このような意見が問題だと解されている理由は国家の存在が大きすぎるということだ。国家というものは見えざる手として私たちを守るべきであるが、現在、私たちの生活のかなり奥まで入り込んでおり、トルコにおける強い緊張感の理由もこれである。」

この言葉は「干渉する国家」もしくは「権威主義的国家」の伝統に対する完璧な批判である。私たちが国家と呼ぶ圧倒的な力を行使する者たちが禁止や圧力でを用いて「私たちの生活のかなり奥まで入り込んでくること」は、昔からずっと私たちの社会の中で「高い緊張感」や過度の対立の原因となっている。そのため、リベラルな民主主義の普遍的な定義の一番目にあがるのは、政府機関は個人の自由や権力分立により制限されるということだ。

■またも社会学

20年前の1993年11月・・・イズミルでの第1回トルコ社会学会議で社会学者のアイヌール・レブレビジオール氏がスカーフ問題に関して学術的な発表をおこなった。スカーフは「近代化への自分なりの方法での参加」であり、さらに重要なのは、「一種の伝統主義からの解放」を表していると説明した。 (会議報告2巻, pp. 619-620.)

つまり、スカーフは政治的反動ではなく、近代化への参加の象徴なのだ。社会学上の事実はこれだ…。

1997年には2月28日クーデターが起こった。禁止が強化された。スカーフを着用する女性や若い少女たちは社会的な排斥と圧力に遭った。政党が解党された。憲法裁判所は次々に決定をおこない、この圧力を強めた…。

しかしさすが「社会学」だ。軍事干渉よりもクーデター期に定着した司法の決定よりも、より機能的で、影響力のあるものだった…。

■不安がる近代主義者たち

つまり、気に食わないとしても、「社会学」が認める社会的な事実を無視したり抑え込もうとしたりするよりも、民主的な自由の中で歩み寄る方が賢明な行動である。40年近く続いた厳しいスカーフの禁止は何百万人もの人々に大きな悲しみを与えた。ご苦労様でしたと言いたい。

今、デミレル氏が「高い緊張感」と呼んだ対立から抜け出すため「不安がる近代主義者たち」が抱く危機の感情を取り除く必要がある。この層の生活様式に対する、不安を生みだす干渉は当然ない。しかし権威的考え方が織りなす政治的風潮がいかに不安を生み出すものであるかを保守主義者たちはスカーフ禁止の時代に経験した。

昨日の国会で出た民主主義的な雰囲気、コメントにあった文明的で控えめな表現は、私たちが経験した「対立」を乗り越えるために必要だ。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:31858 )