Murat Yetkinコラム:スカーフ問題での政治の曲り角
2013年11月01日付 Radikal 紙

昨日(10月31日)はトルコの政治の将来にとって重要な一日となった。つぎに述べる2つのシナリオがポイントだ。

最初のシナリオは、公正発展党(AKP)女性議員らが国会本会議にスカーフを着用して入るという決定に対し、共和人民党(CHP)は(1999年にビュレント・エジェヴィト議員がメルヴェ・カヴァクチュ議員に対して行ったのと同様の)ボイコット行動を見せる可能性があったということだ。

しかしCHPは前日夜の党内会議で、ボイコット方向での決議を望む一派の期待を却下したのだ。ただCHP内の個々の抗議は、前日のエルドアン首相の「指一本触れさせない」という発言後、予期せぬ、物理的暴力を含む反対行動の形を生みかねなかった。

そのつぎのシナリオもある。CHPのディレキ・アカギュン・ユルマズ議員が着ていたアタテュルクTシャツ[を着用した]抗議を彼女は議席から示していた。そしてムハッレム・インジェ議員が、巧みな話術でAKPがダブルスタンダードで、自己利益となるや自由の賛同者となることも厭わない、と述べたことだ。

その険悪なムードから一気に解放されたのは、おそらくインジェ議員が「スカーフを被っていようがいまいが、皆、われわれの姉妹です」と述べた時だろう。 CHPだけでなく、AKPの議席からも拍手が沸き起こったのだから。さらに言えば、拍手をし始めたのはスカーフを着用して登院したセヴデ・ベヤズィト・カチャル議員なのである。拍手が止むと、スカーフ[着用]の自由を政争にまで発展させ、政治的利益の材料にしていたのとは一転して、政治が正常化するような様子を呈し始めた。

その後、国会の演壇に女性議員が上り、良好な展開となった。平和民主党(BDP)のペルヴィン・ブルダン議員、民族主義者行動党(MHP)のルフサル・デミレル議員、 AKPのベルマ・サトゥル議員、そして新党、国民の民主主義党(HDP)のサバハト・トゥンジェル議員は基本的な発言をおこなったが、誰も凌駕しなかったのは、CHPのシャファク・パヴェイ議員のスピーチの中身が力強かっただけではなく、長く記憶に残るような話術の好例だったからだろう。その話しぶりによって、彼女は、巧みなレトリックで知られるビュレント・アルンチ副首相からも格別の称賛を受けたのだ。

昨日の議会は、トルコの一時代を代表するトピックになるだろう。狭義では、「千年続く」とも言われた2月28日過程[の残滓]が、2013年10月31日の議会で終止符を打たれたということもできるかもしれない。しかしより広い視野で考えるれば、トルコの民主主義、パヴェイ議員のいい方を借りれば「世俗主義」が、改めて定義される過程はこれからだ。

もはやスカーフ着用女性の政治参画に障害が残っていないことを考慮すれば、各政党が女性議員を積極的に特別扱いして最少定員を決めることにもなんら障害はない。各党の誠実さが試されることになろう。

■クルチダルオール党首の影響

世間や議会でのスカーフ論争は、CHPのクルチダルオール党首のリーダーの資質を、初めて測る例となった。彼は、計略の世界から距離を置きつつ、党内の反対意見を平穏に処理する術を知り、トルコ政治の正常化を阻む重大かつ繊細な障害を取り除くという点で、先導者となったエルドアン首相と並び重要な役割を果たした。この点で、かつてデニズ・バイカルCHP前党首がおこなった、エルドアン首相の政治参加禁止の撤廃やEU改革実施に向けた支援に匹敵しうるだろう。

昨日、クルチダルオール党首の指導者の資質を示した出来事がもう一つある。シシュリ区のサルギュル区長がアドナン・ケスキン事務局長によりイスタンブル広域市長候補として党に返り咲かされた措置だ。

これが別の日に起きたなら、翌日はCHPもクルチダルオール党首のことも陰に追いやって多くのメディアの見出しを飾っただろうし、サルギュル議員の復帰を望まないCHP党員を怒らせかねない展開となりえたが、この措置により無事に切り抜け、サルギュル議員もCHPの傘下におさまることになった。

千年続くと言われた2月28日過程は、昨日幕を閉じた。この結果を生み出すのに、エルドアン首相に並んでクルチダルオール党も重要な役割を果たした。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:原田星来 )
( 記事ID:31871 )