エルドアンの歴史的ディヤルバクル演説―「クルディスタン」明言
2013年11月16日付 Milliyet 紙

レジェプ・タイイプ・エルドアン首相は、バルザーニー北イラク大統領と(歌手でクルド活動家の)シヴァン・ペルヴェルとともにディヤルバクルを訪れ、市民に語りかけた。マスード・バルザーニー大統領の演説の後、エルドアン首相が壇上に登った。今日は多くの初めてのことが起こったが、最も注目を浴びたのは首相が演説で「クルディスタン」と発言したことだった。
エルドアン首相の演説の際、(クルド系の歌手)イブラヒム・タトゥルセスをはじめ、ビュレント・アルンチ副首相やエミネ・エルドアン夫人が涙を流しているのが見られた。エルドアン首相の発言の要旨は以下の通り。


ディヤルバクル、ああディヤルバクルよ、兄弟の町ディヤルバクル、心から、切望とともに挨拶を。バーラル、ビスミル、オルミク(の町)、あなた方に心からの挨拶を。ディジレ、エルガニ、ハニ、ハズロ、あなた方に心からの挨拶を。クルプ、リジェ、スィルヴァン、イェニシェヒル、あなた方にも心からの挨拶を。今日ここから、シャンルウルファ、マルディン、ハッキャーリ、ビトリス、ヴァンに、そして81の県に挨拶を。ディヤルバクルの兄弟である(北イラクの首府)アルビルにも、ここから挨拶を申し上げる。

■「モッラー・バルザーニーがこう言った」

今から81年前、1932年6月21日にシェムディンリの国境から、非常に重要な客人たちがやってきた。彼らの土地は爆撃され、伴侶や親戚は殺害された。国外追放の判決を下され、シェムディンリから彼らの兄弟の国トルコにやってきた。この地の兄弟たちは、彼らを歓迎した。歴史上で行ってきたように、食卓のパンを彼らに分け与えた。来訪者の1人は、「私たちはトルコで処刑されるのを待っていた。私たちを絞首刑にするよう、彼らに対して圧力があったからだ。しかし私たちはよろこんでトルコにやってきた。死ぬのならばトルコで死のう、とやって来た」と言っていた。これは、モッラー・ムスタファ・バルザーニーの発言だった。

■「クルディスタン地域の兄弟に挨拶を」

こうしてそのバルザーニーは81年前に兄弟の国であるトルコの客となった。今日もモッラー・ムスタファ・バルザーニーの息子、大切なわが友マスード・バルザーニー(大統領)をディヤルバクルに迎えている。あなたの父、叔父、そして兄弟たちと同様に、この地ディヤルバクルにようこそいらっしゃいました。あなたのクルディスタン地域のわれらが兄弟にも挨拶を。

■「あなたの家に、実家にようこそ」

アルビルで私たちが自宅にいるかの感じたように、あなた方もここでくつろいで欲しい。今日、偉大な抱擁と偉大な出会いを、私たちは目撃している。待望し切望し続けたことに、ピリオドを打とう。ようこそ、シヴァン・ペルウェル。あなたの家に、実家にようこそ。

■「今この場にもう1人がいたならば」

今日もう1人の人物がこの場にいたならば。これらの土地のもう1つの別の声、もう1つの別の息もこの場にいたならば。しかし、祖国を切望し、同胞を切望しながら、13年前の今日11月16日に彼は外国でこの世を去った。(クルド系歌手)アフメト・カヤの死後13年目を、慈悲とともに記念する。ああ、彼もこの場にいたならば。私が(1999年、有罪判決を受け)プナルヒサル(刑務所)に向かった時、彼も見送りに来てくれた。彼も歌と民謡を歌って、兄弟を見送りに来てくれた。このような兄弟愛があるのだ。

■「同じ文明の構成員だ」

ディヤルバクルは兄弟たる町だ。ディヤルバクルは我々の兄弟、太古からの兄弟だ。我々はただの同行者ではない。市場までともに行くのではなく、最後の審判まで一緒だ。我々は同じ土地の同じ文明の構成員だ。シヴァン・ペルヴェルは37年後の今にここにいる。あらゆる困難にも関わらず、非常に大きな困難を経験した兄弟イブラヒム・タトゥルセスもここにいる。イブラヒム・タトゥルセスはすっかり元気になった。素晴らしいフィナーレを歌ってくれた。私はそれも見た。


■「対話に国境を引くことはできない」

我々の共通の歴史に、対話に国境線を引くことは出来ない。我々の心を、兄弟よ、いかなる時も互いを切り離すことはできない。これを信じて未来に向かって歩もう。トルコ人をクルド人から、クルド人をトルコ人から切り離すことはできない。

■「すべてをともに経験した」

今後、残酷なことは我々のそばに起こらないだろう。我々がその食卓に座ることはないだろう。東西南北をすべてともに包み込もう。アレッポ、バグダッド、モースルが激しく燃える一方、ディヤルバクルの、ヨズガトの、そしてチョルムの命も燃えた。母親が、自分の子供と自分の母語で話すことができないこと以上の痛みがあるだろうか。シヴァン・ペルウェルのカセットテープがどうやって隠され、見張られていたかを私は知っている。我々は起こったことすべてを、ともに経験したのだ。

■「我々を脅かした」

色は異なるかもしれない、トーンも違うかもしれない、形も違うかもしれない。しかし同じ圧政、同じ排除を、すべてこの地域社会とともに経験した。ここディヤルバクルで、私はあなた方に言った。「あなた方の問題は我々の問題だ」と。アッラーのおかげで、その日以来、その言葉に責任をもってきた。脅かされ、挑発され、罠を仕掛けられ、破壊工作を行われたが、我々は一歩たりとも後退しなかった。

■「命を捨てることが必要ならば、そうしよう」

しかし我々はひるまなかった。命あるものを、命あるものであるがゆえに愛そうと言った。命を捨てることが必要ならば、そうしようと言った。どれだけの代償を必要としたとしてもこの古い兄弟の繋がりを守ろうと言った。母親たちの涙を和らげ、若者の死を終わらせることを誓った。
我々は、1923年4月23日の精神で新たなトルコを建設している。新たなトルコを、この国のすべての民族とともに建設している。

■「この共和国はあなたの共和国だ」

ディヤルバクルの兄弟よ、トルコ人の兄弟、クルド人の兄弟、ザザ人の兄弟、アラブ人の兄弟よ、この共和国はあなたの共和国だ。この共和国はイズミルやアンカラの人々の共和国であるのと同様に、あなたの共和国でもある。この国旗はあなたの国旗でもある。あなたはこの国旗の、この国家の持ち主だ。もはやだれもだれかを侮辱してはいけない。だれもだれかを二級市民として扱ってはならない。いかなる文化もいかなるアイデンティティも、もはや否定されてはならない。新たなトルコには、差別も排除も誰かの感情を傷つけることもあってはならない。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:32000 )