Cuneyt Ozdemirコラム:デルスハーネ戦争の舞台裏
2013年11月18日付 Radikal 紙


閉じられた扉の後ろで権力闘争が繰り広げられている。挑発や懲罰が様々なかたちで起きている。この争いの過去は、その将来が全く異なるものになる可能性を示している。

現在、デルスハーネ(予備校/私塾)の閉鎖に関して始まった争いには過去と未来がある。

このような争いは、ほとんど完全に異次元の世界で進展していることを理解してほしい。閉じられた扉の後ろで権力闘争が繰り広げられている。挑発や懲罰が様々なかたちで起きている。誰かがこの出来事のすべてを見て公然と話したら、両者とも耳をふさぎ、聞きたがらないだろう。さらには結束して今回話した者に襲い掛かろうとするだろう。反乱者、反乱者、反乱者と言って。

皆の目の前にあるこの現実をもみ消すことはできないことを理解してほしい。この争いの過去は、その将来が全く異なるものになる可能性を示している。

過去、もともと普通の条件においても互いに気に入らない二つの勢力が、同じ理想のために団結した。公正発展党(AKP)と教団が、トルコを治める「連合」を結成した。(さて、あなたたちはここで「お互いを気に入らない」という問題を理解することができるでしょう。これに関しては、公正発展党の党員が育ったイスラム的な風土とフェトフッラー・ギュレンの存在するイスラム文化を知ることが非常に重要だ。なぜならこの二つの異なる潮流は外から見て、同じように認識されたとしても、それらは異なる土台に存在し、成長し、発展した二つの異なるイスラム的理解の結果なのだ。これはまた別の記事のテーマなので、今のところはただの補足説明のとしてこのことを指摘し、続けようと思う。)

この二つの勢力、一つは政党、もう一つは政党ほどよく組織されているが政党を作ることを考えたことがないギュレン教団が、共に活動することを決定した。それを隠さなかった。選挙の結果、国の様々なポストにメンバーを置いた。法規を変えて自分たちの理想にあるトルコを作るために始動した。最初の目標は軍の「後見人」からの排除、トルコのEU加盟、より民主的な憲法の保持、法律において自分たちに従わせること、官僚の寡頭政治をなくすこ とだった。事実彼らは、これら私が挙げたものより多くのことを、一つ一つ実現し始めた。

しかししばらくして、この力の共有で問題が出始めた。この問題の最も重要な原因は公正発展党と「教団」の目標または世界観の矛盾から来ている。トルコの中東における役割から未来における民主主義まで、マーヴィ・マルマラ号事件からクルド問題の解決方法まで、二つの勢力の間で多くの違いが表れ始めた。これらのうち一つも世論の前で議論されてはいない。すべて絨毯の下で押さえつけられるようにして行われた。状況は毎回なんとか処理されてきた。

お互いになだめ合うことによって、状況は大きくならなかった。2月7日の国家情報機関の危機までは。その日まで「連合」は見解の違いがあっても一つの形で存続していたが、国家情報機関の事務次官が説明のために召喚されたことを公正発展党は、教団から公正発展党への、そしてさらにエルドアン首相の言葉によると個人的に 「彼自身」への脅迫として認識した。花瓶はまさにこの時に公正発展党にとって壊された。すぐに行動が起こされなかったとはいえ、別離は広まった。

公正発展党は徐々に教団を国の中からつまみ出すことに取り掛かった。警察機関の中で危機に関わった人たちが解雇された。司法には触れられず、各機関に誰が所属しているのか、一人一人確認が行われた。そして最後に到達した場所がデルスハーネだった。

疑いなく教団が教育に関して世界規模で成功を収めているとすれば、それは少なからずデルスハーネにおける成功のおかげだ。政府が現在すべてのシステムを変更し、デルスハーネを閉鎖することを議題にする中、教団がこれほどまでに声を上げていることも、これに結びつけることができる。教団のメンバーである政治家や知識人、記者はこれに反対しており、政府を弁護する人たちも「そんなことはない、どこから持ち出して来たのか」と言って事態をやり過ごそうとしている。

政府にとって新しいことはない。公正発展党にとって、花瓶は国家情報機関の危機で割られた。教団は今まで「我々は花瓶を割らないだろう」と言っていた。こういう状況であるから、花瓶は教団にとっても割られた。

しかしなぜか?

結果としてデルスハーネが閉鎖されても教団が望んだ後、異なる形で教育活動を続けることはできる。事実、これを教団に近い作家たちも言っている。さて、それなら起こったこの争い、大見出しで報じられている激しい怒りや、SNSでの直接的な擁護はどこから来ているのか?


公正発展党―教団間の関係を見るときに、時々危機的状況の進展について、世論が非常に遅れて情報を得ていることを我々は知っている。つまり両者とも全く別のことで争っているのに、外から見るとあなたたちが全く違うことを話しているのがわかる。

デルスハーネの争いで起こったこの嵐も、このような状況が造り出したと言っても間違いではない。

現在、双方の間にある矛盾による危機がすぐそこまで迫っている状況にあることがわかる。つまり、デルスハーネ問題が実現されれば、この危機は実際に起きるであろう。

近い過去だった、公正発展党と教団を団結させた最も重要で具体的な脅迫はエルゲネコン裁判で話題になった「公正発展党と教団を終わらせる計画」だった。見ての通り、計画は変わったのだろう。

この争いの未来を決定するものは、両者の頭の中にある新しい計画となるだろう。そしてもちろんその計画のどれほどが実現されうるのかなのだ!

追記:公正発展党イスタンブル県支部の広報係であるヒュセイン・バシュチュルク氏から電話があり、先日の私の記事で県支部長のアズィズ・バブシュチュ氏のある演説から私が引用した言葉が親愛なるバブシュチュ氏のものではなかったと述べたことをここにお伝えする。

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( 翻訳者:菱山湧人 )
( 記事ID:32017 )