Ali Bulaçコラム:デルスハーネ(予備校、私塾)を閉鎖するということ
2013年11月21日付 Zaman 紙

最近巷を賑わせている話題である「デルスハーネの行方」にある意味があるのは明白である。

これは教育システムの問題解消と関係するのと同様に、政治が実施を目論んでいる新たな是正と、無論トルコのムスリムがここ100年間[経験してきた]大きな困難の終着点とも関係がある。今日は、「デルスハーネ」についてこの文脈で考えてみたい。土曜日の記事の題目は「教育」、月曜日は「政治、社会、文化イスラーム」の主目的と関わるものとなる。

政府がデルスハーネに関する是正のために依拠する理由には説得力がないことは明らかだ。皆が声を揃えるのは、デルスハーネは教育システムの結果であり、原因ではない。つまり、問題を解決したければ、結果からではなく、原因究明からアプローチすることが必要である。最早、遠慮はいらない。教育システムには問題があり、子供、若い世代にとって有益ではなく有害なのである。

親は子供を何も好きでデルスハーネへ通わせているのではない。デルスハーネは、家計に打撃を、学生にとっては週の休み2日間が奪われることを意味する。歴史上、現代ほど国家による教育への圧迫を受け酷い目にあった時代はない。国は、子供を6歳から最低22歳まで厳しい追求を受け、その国家がもつ世界観、イデオロギー、人生設計をシステマチックに子供へ植え込む。今日、訴えるべき最も重要な権利のひとつが、人間の尊厳に配慮しない国の教育プロセスに対する、子供の精神的、理性的、社会的自由である。

両親は、たいてい子供が受ける教育内容に関する問題に関心を抱かない。トルコの中では、教育における「飛び級」とは、家族にとって自分の子供が地位上昇するための手段なのだ。そういうものなのである。私個人では、もし勉強していなっかたら、マルディン市の水利事業で働く労働者の息子である私には今のような地位にたどり着くことは不可能だ。恐らく、仕立屋や大工になっていただろう。理容師、靴屋、ウェイターかもしれない。というのも、これらの仕事に就いたことがあるのだ。[女性に関しては]家族が娘の教育に熱心であることで獲得できる卒業証書によって、「良い結婚」を可能にし、必要なら民間・官公庁で働くことを保証することにつながるのだ。

この点から、大学教育は必須である。一般に、トルコの教育水準が高くないことは周知のことである。カリキュラムは基本的に、学生に社会への準備をさせ、 豊かな人格を育み、高いモラル・道徳を備えるようにはなっていない。学校の授業だけで大学入試を突破するのは不可能である。学生は、追加の補習を受けたり、更なる努力が必要となる。この点で、デルスハーネは補習や、模試を提供してくれる。高所得層だけでなく、中所得・低所得層がデルスハーネに関心を寄せているならば、その理由は以上の通りである。つまり、受験を成功させているのは、「学校」ではなく「デルスハーネ」なのである。十分な収入を持つ家庭ならば、子弟を私立学校に通わせることも-私学の30%は定員割れだが-デルスハーネに送ることもできる。高所得の家庭ではデルスハーネに加え、必然的に家庭教師も雇う。

この問題は、トルコ東・南東部とも密接に関わってくる。クルド・アラブ系子弟は、他のトルコの子弟よりも二重の困難を背負っている。上記の困難に加え、母語がトルコ語でないために、学習内容の理解や表現において困難と向き合うのである。デルスハーネは、当該地域の子弟にとって必須なのである。手元にデータがあるが、2点程。「ダルゲチット郡:2007年、デルスハーネ開設校数0。大学の在籍学生数22名;2013年デルスハーネ開校数2校、大学の在籍学生数173名。1990年、バトマン県にデルスハーネは存在せず。大学の在籍学生数35名;2013年デルスハーネ開校数18校、大学の在籍学生数 6,921名。トルコ南東部で学校以外に「奉仕組織」(注)で授業を受ける生徒数276,626名。内、116,355名は受講料免除、106,271名の受講料は年額平均1,000リラ以下である」。特に、奉仕組織のデルスハーネ、学習室、通信教育は大きな力となっている。こうした中の一部がよく思っていないことは秘密ではない。

注:「奉仕組織」はギュレン教団を指していると思われる。

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( 翻訳者:山根卓朗 )
( 記事ID:32053 )