ザマン紙、デルスハーネ(予備校・私塾)問題で首相に公開質問状
2013年11月25日付 Milliyet 紙


デルスハーネ(予備校/私塾)の閉鎖に反対するザマン紙の主筆エクレム・ドゥマンル氏は、エルドアン首相宛てに公開書簡を書いた。

‐不当な扱いを受け抑圧された人々の呪いを受けてはなりません。今日のこの状態を市民に差し出した者たちは、明日には神にも差し出さざるをえなくなります。この問題をそこまで至らせずに解決することが不可欠です…。

‐どうかあなたの周りの景色を正しい目で見て下さい。おべっか使いの同僚たちが、正義感から距離を置いたところであなたのあらゆる活動を手を叩いて誉めそやすことに惑わされないで下さい。

‐誰も望んでいないことにおいて妥協点を見出すことこそ、あなたの政治家としての経験にふさわしい振舞いです。

‐そうでなければ、10年どころか一生傷を治療しつづけなくてはいけないでしょう。そうする価値がありますか?

‐我々が正義を守るために率直かつ勇敢に話すのを、「平手打ちのようだ」などという攻撃的な言い方で表現することはもちろん適当でありません。

これらの文章は、ザマン紙のエクレム・ドゥマンル主筆によるものである。デルスハーネの再編成が報じられた後、批判的な報道でエルドアン首相の不興を買ったドゥマンル氏は、今日のコラムでエルドアン首相に宛てて公開書簡を書いた。
様々な立場の人々にこのことをよりよく理解してもらえるよう、この手紙をそのまま掲載しよう。


あなたもよくご存じのように、タウヒードを厳格に守る者たちにとって、どのような人間が相手でも恐れずに事実を正しく述べることは任務です。それが市民のためなら尚更です。困難な状況で、正義と真実を叫ぶことや、歴史的な過ちの前に立ちはだかることは、アッラーを信じるあらゆる個人の神聖な任務です。我々は民衆の運命に深い跡を残す問題について、目にした真実を口にしなければなりません。なぜなら「正義の記憶は至高」なのです。為政者としての重い責任を背負ったあなた方も、兄弟たちの批判や提案を聞くことを望んでいるはずだと私は願っています。
あなたの発言から、あなたが傷つき憤っていることが分かります。あなたを愛しあなたを信頼している人々も、少なくともあなたと同じくらい傷つき憤っていると信じて下さい。「教育に関する問題は山ほどあるというのにどうしてデルスハーネを閉鎖するのですか?」という質問に対する答えなどないのです。巧みなレトリックによる包装も、心の傷を包むことはできません。かつて自らも法の圧力により閉鎖や路線変更を強いられたあなたが、今その概念を頻繁に利用していることに、人々は悲しんでいます。こうなると、もはやこの件はデルスハーネの閉鎖に留まりません。深い懸念が、人々の良心を痛めつけているのです。人々はこうした過程に意味を見い出せずにいます。

■せめて彼らの声に耳を傾けて下さい。

息苦しさがあります。なぜなら社会のすべての層から上がってくる要望は、尊重されなくてはならないはずです。60年を裁判に捧げた作家へキムオール・イスマイルはこう嘆いています。「(デルスハーネを)閉鎖するなら私は誰よりも悲しみ、傷つき、憤るでしょう。」しかし誰も耳を傾けません。東部の、南東部のオピニオンリーダーたちは「どうか閉鎖しないで下さい!お願いします!」と嘆願しています。しかし誰も注意を払いません。教育者たち、社会学者たち、法学者たちは心の中で「これは間違っている」と叫んでいます。彼らの声は壁にぶつかって跳ね返ってくるだけです。金曜日に利害関係者の会が3,000のデルスハーネを代表して記者会見を開きました。彼らは嘆願していました。しかし省の関係者たちは、説得部屋で自分の作り話を聞きながら眠り込んでいるも同然です。デルスハーネのセクターの70%を代表する彼らの声を、一行たりとも報じない報道機関もあります。誰の目を気にし、なぜ躊躇しているのでしょう。歴史はいつか必ずこのことを綴るでしょう…。

親愛なる首相、どうか信じて下さい。
これは「ジェマートへの配慮」に限った話ではありません。生徒と共にベシクタシュ広場へ来て「首相、我々は時計まで売ってデルスハーネをたてたのです。どうか閉鎖しないで下さい!」と言ったアルシメト・デルスハーネの所有者は、抗議のため自らに苦行を課しています。フィナル・デルスハーネの所有者ゼキ・チョバンオール氏はこう嘆いています。「私のところには236もの支部があります。そのうちの一つさえ学校に変えることはできません」。ドナヌム・デルスハーネの設立者エムレ・イペキ氏は、「妻とともにたてた」というデルスハーネについて「我々の巣が閉鎖されようとしている」と言っています。彼らのうち誰一人として「ジェマート」との関係はありません。あなたが残念にも彼らをジェマートと結びつけ「反対側」と呼んだことを、彼らは深く悲しんでいます。我々の声の大きさは、我々があなたが「25%」とおっしゃった人間の権利を弁護しているためだけではありません。すべてのセクターの人々の感情を表現し、すべての人々に降りかかるであろう問題を代弁しているためなのです。

■以前からこの問題をあなた方に訴えてきました。

親愛なる首相、
あなたは「ジェマート内部の人間たちとデルスハーネについて話した」とおっしゃいましたね。その通り。たしかに話されました。しかし彼らは話し合いの度に「これは非常に有害だ、感情的離反の原因になる」と言いました。この話題が出るたびに彼らが法の圧力でデルスハーネの扉を閉めることは間違っているとあなたに伝えたことは、神もご存知です。そして彼らは、何の見返りも期待せずあなたを支援した心の友たちのことをあなたが決して忘れたりしないと考えました。兄弟たちの真摯な反対をあなたがきちんと熟慮してくれると思いました。ですから今彼らは大きな失望感を抱いています。これまであなたが成し遂げてきた有益な仕事の背後であなたを最大限支えてきた人々、「墓から起き上がり」トルコの民主化のために貢献してきた人々は、あなたが繰り返し述べてきたある言葉に望みをかけていたのです。すなわち、「私は神に約束しました。私の任期中に国民の皆さんにいかなる害も及ばせないと」。そして今、「この国を愛する人々」は、あなたがしようとしていることは自分たちだけでなく国にも大きな害を及ぼすと考えています。にもかかわらず、なぜあなたは固執するのですか?
どうか一度あなたの周りにいる人々の良心を感じ取ってください。誰もが「私もデルスハーネの閉鎖には反対だ」と言っているはずです。党の執行部からさまざまなジェマートに至る、あなたに単刀直入に物事を言えない人々は、「こんなことにならなければよかったのに」と思っています。この問題はこれまで議論されてきましたが、論理的な理由をもってあなたを支持する人を私は見たことがありません。「我々は閉鎖しようとしているわけではない。変革しようとしているのだ」という言葉は、ただのレトリックとしか思えません。これでは全く別の方向へ話が逸れてしまいます。
たとえば「黒いプロパガンダ」。我々は具体的な文書を元に国民に(デルスハーネ閉鎖に関する)情報を提供しました。そして誰か関係者が、この受け入れがたい「計画」は誤りであると言ってくれることを期待しました。なぜなら民間セクターの国営化は恐るべき過ちであるからです。11年間のAKP政権であなたがしてきた民主的な約束やその実行は、「上から変革を強要」するものではありませんでした。しかしそのうちに当初省庁の関係者たちによって「嘘だ」と言われてきたことこそ、全て本当であったことが明らかになりました。
また、(我々の反論を)「平手打ち」と仰いました。これは口頭の発言だったため、私は生放送事故のようなものではないかと思いました。ユヌス・エムレは自身の職業に対する思いを次のような詩の一節で表しました。「殴る者には手をもって答えず/罵る者には舌をもって答えず/デルヴィシュは心を捨てなくてはならない。」自らの仕事において我々が選んだ道はまさしくユヌスが示したこの道です。しかしデルスハーネについては黙っていなかった、黙っていられなかったのです。人間の権利に関わることであるならば全力を尽くして真実を言います。なぜならそれが我々の使命であり、同時にあなたに対する愛情と敬意だからです。我々が正義を守るために率直かつ勇敢に話すのを、「平手打ちのようだ」などという攻撃的な言い方で表現することはもちろん適当でありません。
我々はデルスハーネに関して自分の気持ちを何度もあなたに伝えてきましたが、これっぽっちも考慮されませんでした。さらにこの共同体は、一度たりともあなたに対して集団の力を行使して何かを要求したりしませんでした。いつもこの国と国民のためにあなたと話してきたのです。「彼らが何を要求してきても与えなかった」というような言い方は、非常に残念で悲しいものです。

■市民に向けた悲嘆の声が、神に向かう前に

親愛なる首相、
心を痛めた彼らは、この強いられた変革を市民に対して嘆いています。この嘆きを議論で黙らせても、問題は解決しません。むしろ深まるだけです。また憤ってはなりません。というのも我々は最も民主的な権利を用いているからです。彼らに耳を傾け問題を解決する代わりに、言われたことに腹を立てて言い返すのは間違っています。不当な扱いを受け抑圧された人々の呪いを受けてはなりません。今日のこの状態を市民に差し出した者たちは、明日には神にも差し出さざるをえなくなります。この問題をそこまで至らせずに解決することが不可欠です…。
約一ヶ月半前、私はデルスハーネ問題がこの悲しむべき状況にまで発展することを憂慮し、あなたにこの問題に着手するよう、無力ながら進言しました。あなたはその記事さえ読まれたと友人から聞きました。とても驚きました。その日私はこうも書きました。「デルスハーネ問題をエルドアン首相は解決しなければならない。どうやって?他の件においてもそうであったように、市民のデルスハーネ問題に対する懸念を考慮して…。」

親愛なる首相、
どうかあなたの周りの景色を正しい目で見て下さい。乞食やおべっか使いの同僚たちが、正義感から距離を置いたところであなたのあらゆる活動を手を叩いて誉めそやすことに惑わされないで下さい。彼らはそうすることであなたに利益ではなく損害を与えているのです。真の兄弟愛とは正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると言うことであるはずです。誰も妥当とは思っていない、法の圧力を用いたデルスハーネの閉鎖/変革は、市民に深い傷を与えている。それが事実です。
誰も望んでいないことにおいて妥協点を見出すことこそ、あなたの政治家としての経験にふさわしい振舞いです。そうした例はたくさんあります。国民の不満をあなたほどよく聞き、決定を見直す指導者であることは、決して容易ではありません。大統領から大臣たちまで、教育セクターから子どもたちの大学進学のために奔走する家族まで、みんなデルスハーネが法の圧力で閉鎖されることに懸念を抱いています。この件が議論され、関係者の声がきちんと拾われ、みんなが納得でき、子どもたちがよりよい教育を受けることのできる方法を見つけてほしいと、誰もが望んでいます。

必要なときに異議を唱えることは、誠実さの表れです。あらゆることに正しいと言うことは、タキーヤの表れです。人々があなたに勇敢にも「これは間違いだ」と言っているのですから、彼らに耳を傾けることは失態ではなく美徳です。国民はあなたにそれを期待しているのです。そうでなければ傷の治療は10年どころか永遠に続くでしょう。そうする価値があるでしょうか?

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( 翻訳者:篁日向子 )
( 記事ID:32087 )