Abbas Güçlüコラム:高校入試の「宗教文化と道徳」科目の、問題
2013年12月04日付 Milliyet 紙

高校入学試験(LGS)において、今年初めて宗教文化と道徳科目が加わった。問題は人によって易しくも難しくもあった。宗教文化と道徳科目からなぜこれほどまでに多く問題が出されたのかと訝しく思う者もいた。とても良かったと言う者も…。しかしわかったことは、科学や数学のように、宗教文化と道徳科目では、確かな解答のある問題は用意できないのだ。この点において、自分に大いに能力があると感じている大人たちさえも答えるのに苦労する問題の存在に加えて、議論の余地のある問題も頭を混乱させるのには十分だった。さて、以下はこの問題における何百もの苦情のうちの一つだ。

■国民教育省へ抗議文

「私は進路指導教員です。娘は今年8年生として試験を受けました。学校で順位を決めるトルコ私立教育機関協会(TÖDER)の国内統一試験で2年間上位に入っている(今年は国内44位)生徒です。しかし、選択性が全くないこの試験で、科学で3問、宗教文化と道徳科目で1問が不正解でした。娘が科学で間違えた問題は全て、教師でも正解に確証のない議論の余地のある問題です。宗教科目で娘が間違えた問題は、学術的に間違いのある問題です。これは取り消されるべきです。宗教科目を教える教師とそれに近い人である多くの専門家も同じ意見です。添付したものの中で、私が国民教育省に送付したこの問題における抗議文があります。あなたがたにお願いしたいのは、この問題をメディアで取り上げ反響を生んでほしいということです。私たちは国民教育省を通して申立てを行いましたが、メディアが関わらなければ何も起こらないだろうと懸念しています。

■ザカートに関する設問

論旨:宗教文化と道徳科目試験における問題冊子Bの問10および問題冊子Aの問18は間違っており、解答群に正しい解答がなかったことを理由に設問取り消しの要求する。当の設問では正答として記されている選択肢Aは正解ではないということである。クルアーン第93章朝章9,10節は決してザカー トに関するものではない。朝章の啓示は、メッカ時代でヒジュラ以前に下された。しかし、ザカートはヒジュラの2年後に義務化された。このため、ザカートと結びつけることはできない。選択肢Aで述べられているクルアーン93章朝章9,10節は、貧者が保護され、気にかけられることを目的としている。(ムスタファ・チャールジュ教授、ハイレッディン・カラマン教授、イブラヒム・カフィ・ドンメズ教授、サダレッティン・ギュムシュ教授共著2012年第4版『クルアーンの路 トルコ語の意味と解説』5巻639,640頁)当書第1巻629,630,631頁から読み取れるように、ザカートと直接関係する箇所は、クルアーン第3章イムラーン家章92節である。上記書籍のこの節の内容においては、再びザカートに関するクルアーン第2章雌牛章177,267 節が言及されている。また、オメル・ナスヒ・ビルメン氏、コンヤル・メフメド・ヴェフビ氏、ハサン・バスリ・チャンタイ氏、宗務庁のクルアーン注釈を調べれば、朝章9,10節に関連する類似の記述にたどり着く。国民教育省の宗教文化と道徳の8年生用教科書37頁で述べられている「それならば、孤児を決して悲しませるな。望む者を非難するな」という節は、貧者に対し憐み深くあるべきだと強調している。ザカートがどのように与えられるかのではなく、ザカートがどのように与えられるかを、教科書37頁の原則を挙げてみようというエピソードに載っているクルアーン第2章雌牛章262節が説明している。設問の選択肢BおよびCは正解ではない。Dにある節はザカートに関連している。しかし、ザカートがどのように与えられたかに関してではなく、どういった富を通じて与えられるのかに関してである。結果として、どの選択肢も正解にはならない。このため、この設問は取り消されるべきである。上述の説明に照らして、宗教文化と道徳科目試験の問題冊子Bの問10 および問題冊子Aの問18の取り消し要求をここに申し上げる。」

■今後どうなるのか

国民教育省はこの問題において頑なではない。抗議を受けて一方は数学、他方は科学の2問を直ちに取り消した。ほかの抗議も真摯に受け止められている。おそらく他の設問の取り消されるかもしれない。また、設問の取り消しは国民教育省の信頼を揺るがすだけにとどまらず、保護者や生徒をもいらだたせている。さらに、問題を間違えた者は見当違いのことをして、罪を自分にではなく、問題を作成した者にあると皆に言うのだ。このため、高校入学試験(LGS)、高等教育資格試験(YGS)、学部決定試験(LYS)などの入試の試験問題を用意する職員は、非常に慎重にならなければならない。ミスは起こらないのか、いや必ず起こる。しかし、どうかこれを最小限に抑えるべきだ。ミスが全くなければどんなに良いだろう。つまり、ミスなしの試験作成はこれほどまでに難しいのか!



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:安井 悠 )
( 記事ID:32162 )