Eyup Canコラム:デルスハーネ政府・教団対立、いったん終息?
2013年12月04日付 Radikal 紙

ビュレント・アルンチ副首相とナビ・アヴジュ国民教育相が出した声明の後に、政府と教団の間における対立の嵐はおさまったのだろうか?

問題がもし単にデルスハーネだけであったらおさまったといえるであろうが、そうは行かない。
しかしデルスハーネをめぐる議論で、問題は完全に解決しないとしても、一昨日閣議によって出された決定をもって嵐はおさまったようにも見える。

政府はデルスハーネ問題で引き下がったようには見えず、選挙が終わるまで先延ばしにしたように見える。しかしそう簡単にはいかない、なぜならこれから3つもの選挙が控えているからだ。

一年間の猶予期間と、この問題がいずれ議会で討論されるということで、少なくともデルスハーネをめぐる現在の嵐はおさまっている。しかし緊張状態は続く。なぜなら政府と教団の間における、クリスタルの花瓶はひびがはいっただけにとどまらず、この事件によって完全に割れてしまった。ひびであれば修理ができたものの、割れてしまってはもはやどうしようもない。ある期間ともに戦ってきた二つの組織は、底辺部分ではそうでなくとも頂点で対立を見せている。
こうしたすべての論争の根底において、問題の本質に迫ってみるなら、非常に重要な二つのことがみえてくる。


まず、デルスハーネをめぐって、我が国の教育の質が議論されればいい…なぜなら昨日PISAの結果が明らかになり、部分的にはよくなったものの、トルコは教育の質に関してまだまだである。

次に、民主主義、法の優位、透明性、そして個人の自由の問題において、本質にせまってもらえればいいのだが…裾野における議論はそれぞれ出されたのだから、みんなの安寧のために、これらの問題をあらたな議論の場に乗せるべきである。

法は、自分たちだけが困った時ではなく、皆に平等に作用するものでなければならない。平等に作用しなければ、今後、今日または明日、私たち皆が被害をこうむるという事態がいとも簡単に訪れるであろう。
双方には、この嵐から、少なくともこうした教訓をえてもらいたいものだ。

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( 翻訳者:渡辺夏奈 )
( 記事ID:32173 )