Mehmet Tezkanコラム:民主化法案に仕込まれた罠―禁止条項多々
2013年12月10日付 Milliyet 紙

民主化法案はついに国会へと送られた。送られたものの中身は囁かれていたようなものでは無かった。様々な所から新たな禁止事項を持ち込んでいる。

例えば公的機関によって運営されるプロジェクトの実行といった活動を妨害する者へは2年から5年の懲役刑がもたらされる…。この条項は罠だ!…。

デモはなぜ行われるのか。そのプロジェクトが実行に移されるのを阻害するため…。例えば、水力発電所(HES)建設に対してデモをしたとする。これが原因で仕事が一日止まった。2日止まった、10日止まった…。デモを行った者は5年もの懲役を受けることになる?また、抗議活動は普通、公的活動に対して行われるものだ…。

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罠の条項がもう一つ…。集会とデモが、日々の生活の妨げとならないように条項が定められている…。つまり、街の中心でデモは行われなくなる…。それでは一体どこで?山か、丘で?デモは支持者を見つけ、問題を広く人びとに伝え、注意を引くために行われる…。

目的はこれである…。普段の生活が無い場所で行うとすれば、あなたはただ自分でしゃべって聞くだけだ…。しかしそれは何をも生まないのだ…。

イスタンブルを考えてみよう…イェ二カプで海を埋めたて100万人の集会場所が建築される…。完成すると県が「行きなさい、デモをあそこでやりなさい、ビラをそこで配りなさい」と言うだろう。

誰に対して伝えるのというのか?カモメに対して?

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事態は、さらに救いがないことに、デモに参加した全員は記録に残ってしまうのだ…。警察は全ての集会とデモを監視するだろう…。全員一人ずつ記録されるのだ!…実際、撮るよ、と言われるのか?撮っていても、あらゆる集会を公的に記録できない…。

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これは一体、どんな民主化法案なのか、理解できなかった…。抗議活動、デモ、デモ行進といった活動を妨害しようとしている…。密かな禁止条項…。


■私たちの祈りは違うものか?

しばらくの間用いられた言葉は私を不快にさせるものだ…。特に政府と教団との揉め事のあとでの表明は差別的だ。多くの人が言葉を発し、最近ではイェニ・シャファク紙のハリメ・キョクチェが表明した…。教団にこのように声を上げた。私たちは同じ祈りを捧げている。私の問いはこれだ。私たちの祈りは一体、異なるものなのだろうか?教団か、政府の側でない者の祈りは異なるものなのか?

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ゲズィ事件の時に首相も似たようなアプローチを見せた…。50%を家にいるよう抑えさしていると言ったあとで、以下の言葉を用いた。「私たちが唱えることはひとつで十分だ。」もう一方の50%の集団は何を唱えるのか?彼らの唱えるものは[首相たちの]唱えるものではないのか?違うのもなのか?

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わかったのは以下のことだ。全ての人の祈り、みなの唱えることは同じである…。違いはないのかというのならば、多分あるのだ…。判断を下すのはアッラーの仕事だ…。

■我慢の限界という側にとって

民主化法案によって、ゲズィ、HES、中東工科大学(ODTÜ)といった活動に参加した人へ罰則が与えられる…。2年から5年もの…。

我慢の限界という側から見てみると、改善…。なぜか?このような類の活動に参加する人について、今、[法案の中で]とても奇妙な罰が求められている…。ある者は組織のメンバーにされ、ある者は組織の名の下で活動したとして罰せられる…。求刑される罰は7.5年から15年まで…。

例えば警官もしくは検察官があなたに組織メンバーと烙印を押したら、もう終わりだ。法律によれば、組織に属していないということはあなた自身が証明することになるのだ…。彼らが[処罰したい相手を]組織メンバーにできなかったら。「組織の一員ではないながら」といって始まる条項があり、そこへ陥れるのだ…。

驚かされる例はイズミルから…。ゲズィ公園への支援のデモに参加したバルシュ・チャクルが警察に対し投石したために捕らえられた…。投石をしたのは6月1日…。
6月3日にマルキシスト-レーニシスト-マオイストの武装組織が「警察に投石しろ」という通達をしたそうだ…。チャクルはこの組織の名の元に罪を犯したとしてその罪が問われている、7年半から15年まで…。

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2年と7年、5年と15年、何を根拠に…。一方は活動家、他方はテロリスト[を裁く法律]…。このように考えれば、将来を楽観視したいのならば、我々は民主化をするのだ!



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:堀谷加佳留 )
( 記事ID:32225 )