エリフ・シャファク新刊:『師と私』
2014年01月05日付 Radikal 紙


『師と私』は歴史小説だが、「建てられているあらゆる不法建築物が、イスタンブルの心臓に打ち込まれた釘」であるかのような現在のイスタンブルへの、溢れんばかりのメッセージも含まれている。

我々は学校教育の中で歴史を学ぶが、歴史教科書は我々に決して出来事の裏側や本当のありさまを説明してはいない。人々の物語は歴史の本には書かれてはいない。それらの不足を文学や小説家が補うのだ。歴史に想像の力を加えて命を吹き込む。しかしこれはそれほどシンプルで簡単ではない。その陰には大いなる努力と苦労が隠されているのだ。我々の多くができないことをやり、何百冊もの本を読み、小説のもつ歴史的な骨組みを作っている。そしてその後、行間を埋める作業、つまり物語に取り組むのだ。

私はイリヤ・エレンブルグの『パリ陥落』、「『嵐』、『第九の波』の三部作を読んだとき、第二次世界大戦とそれ以前をより良く理解したことを覚えている。そのため、それらの根源を、ある意味では我々全員を説明するアミン・マアルーフの『レオ・アフリカヌスの生涯』、『サマルカンド』、『タニオスの岩』、『東方の港』、『百番目の名前』も読むのが好きだった。オルハン・パムクの『白い塔』と『わたしの名は紅』、エリフ・シャファクの『愛』も何が何だかよく理解できなかった時代に光を当てた小説だった。

エリフ・シャファクは最新の小説『師と私』でも、3年間の執筆活動の後、ノンフィクションとフィクションをきっちりとうまい具合に混ぜ込んでいる。そしていつものように言葉をうまく操って、しっかりした一冊の小説が出された。

シャファクは『師と私』で、オスマン帝国の最も重要な時代の一つである16世紀のイスタンブルにおいて、インドから来た白いゾウのチョタ、ゾウ使いのジハン、我が国建築史における巨星ともいうべき、建築家スィナンとともに読者を旅にいざなう。ここ2年間、寝ても覚めてもスレイマン1世とヒュッレムの愛でつづられていた「華麗なる世紀」の、もう一つの顔を描くことに取り組んでいる。

■「華麗なる世紀」のもう一つの顔

毎日ギョクテュルクにある建築家スィナンの水道橋の下を通り、通るたびにそれに感心する一人として、それ以外のものは考えられなかったし、一つの時代を説明してくれるほどの、建築家スィナンの物語である『師と私』を私は好んで読んだ。
エリフ・シャファクは『師と私』の初めの110ページに小説の枠組みを据えた。その後、特に200ページ以降、物語のスピードは加速する。読みだすや、中断したり、本を手から話せなくなるだろう。

当時の服装、食べ物、習慣、伝染病、人間関係と並んで、建築家スィナンの仕事のやりかた、戦争時に行われた橋の破壊、スルタンの食(プライベート)生活のような、公式の歴史が無視し、除外した詳細な物語が一つの言葉で叙述されている。そしてこの物語の叙述は、ほどなくして読者の心をとらえて離さなくなる。つまりあなたもゾウやゾウ使いジハンとともに成長を始めるのだ。

著者は、自身の以前の小説でもそうであったように、市井の人々、マイノリティー、抑圧された人たちや疎外された人たち、ある意味では読者の心の声となった。宮廷の陰謀や殺された王子のような出来事も描きながらも、当時の政治的な事件にはそれほど立ち入らない。

『師と私』は読者に新しい扉を開く小説だ。今年私がやろうと計画しているものの中には、イスタンブルから始めてスィナンが建築物を残した場所を旅することがある。もちろんこれは簡単ではなく、むしろ夢のようなものだ。偉大な建築家は99年の生涯のほとんどを、イスタンブルをはじめ、アナトリアのあらゆる場所に何百ものモスク、橋、マドラサ、救貧院、水道橋を建築することにささげた。イスタンブルもアナトリアをも洗練された世界にしたのだ。

■我々は歴史から全く教訓を学ばないのか

建築家スィナンは、小説の中で語っているように、「建てられたあらゆる不法建築物はイスタンブルの心臓に打ち込まれた釘だ。皆あらゆる場所に建築したがるだろうが、これはイスタンブルを苦しめ、傷つけ、終わらせる」と本当に言ったかどうかは分からないが、現在我々が都市計画という意味で経験している矛盾は当時に非常に似ている。

アヤソフィアの修復と周辺の家屋の退去と取り壊し、路頭に迷う人々、なされる議論について記述する個所は、人々に再び「歴史は繰り返すが、我々は何の教訓も得ていない」と言わしめている。

ゾウについて、私との唯一の関わりはと言えば、私が旅行したことのある国から、一頭のゾウを得ていることであるが、今はそのことをもっとよく知りたいと思う。(ゾウがいることは)我々の文化の一部ではないにもかかわらず、ゾウは物語に信じられないほど調和している。小説の、現実から最も遠い部分(フィクションの部分)だが、もしゾウがいなければ、スィナンの素晴らしい建築物に何かが欠けているような感じを読者に与える、この小説を読み終えた後に・・・。

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( 翻訳者:菱山湧人 )
( 記事ID:32495 )