フェネル・ユルドゥルム会長「アタテュルク主義ゆえに標的に」
2014年01月24日付 Milliyet 紙


アズィズ・ユルドゥルム会長がポスタ紙のジャンダシュ・トルガ・ウシュク記者のインタビューに応じた。

最高裁の八百長裁判で6年3ヵ月の禁固刑が承認され、さらに2年8カ月以上の禁固刑が議論されているフェネルバフチェのアズィズ・ユルドゥルム会長は判決の後、語った。ポスタ紙のアズィズ・ユルドゥルム会長へのインタビューの内容は以下の通りだ。

-気分はどうですか。

「非常に良い」

-このような判決を予想していましたか。

「もちろん予想していた」

-最高裁がこの判決を破棄するとは全く考えなかったのですか。

「全く予想していなかった。世論でそのような流れを作りだそうとする人がいたが、私は確信していた」

-空港についた時、どう思いましたか。

「嬉しかった。感動した。それは16年間フェネルバフチェでやってきたことがあるからだ。ここ(フェネルバフチェ・ウルケル・アリーナ)を見てください。私が作らせたのだ。私たちはスタジアムを作ったのだ。私たちはサマンドゥラ(フェネルバフチェのスポーツ施設)を作った。たくさんの良いチームを作った。未来に残るものを作り上げた。これを 見てきた人がいて、だからこそ私たちの味方になってくれる」

■「裁判所で挙がった名前が最高裁で変わっている」

-当初から策略があると言っていましたね。なぜこれほど確信できるのですか。

「八百長をしたかどうか自分で分からないとでもいうのか。八百長を行ったならこれほど堂々としていられるわけがないだろう。全ては調整され、仕組まれたのだ。エメニケが金を支払ったと言われているが、証拠はない。スィヴァスに金が流れたと言うが、そこに金などない。なのに告訴状が準備されている。

調書で挙がった選手が別の選手に代わっている。19試合と言いながら6試合に減らした。これを用意した人たち全員が辞職するべきだ。これはなんという悪ふざけだ。私は八百長など行っていない。訴えた者が証明するだろう。

私に八百長を行ったと言うが、彼らは私がやったことを証明できていない。私がやっていないと証明するのを待っている。こんなふざけたことがあるか。『この金をどこそこから得て、どこそこへ渡したのだろう、これが証拠だ』と言わなければならないはずだろう!どこにあるのか。そんなものはない。イブラヒム・アクンの件だが・・・私は金など渡していない。告訴状ではアフメト・チェレビーはビュレント・イシュチャンを通じて金を渡したとされている。しかし最高裁の判決では違うことを言っている。裁判所で挙がった名前が最高裁で変わっている。これは何という司法だ。私たちは誰を信用したら良いのか」

■「アタテュルク主義ゆえに標的に」

-それでは狙いは何ですか。

「標的は私ではない。フェネルバフチェだ。私はフェネルバフチェの会長だから標的にされた。政府にも教団にも味方したことはない。アタテュルクの原理に忠実な、共和国の価値や世俗主義を信じる人間だ。彼らに合わせなかったから、彼らと距離を置いたから標的にされているのだ。私は16年間会長を務めた。私は 何か一つでも落札できただろうか。確かに落札できた。500~1000万人のエンジニアたちをとって彼らは自分の給料分の働きをしている。それ以外のこと で私が会長を務めている間にこのような団体を指揮する人間として私に何か言える人がいるのか。いないだろう。なぜならば私はやっていないからだ。するとど うなる?私に味方するでしょう。私の立場は明らかだ。私はアタテュルク主義者で、共和国主義者で、世俗主義者だ。私が払った代償はこの代償だ」

-誰が払わせたのですか。

「それはあなたたちが見つけてください」

-あなたの弁護士は何と言っていますか。どのくらいの懲役になりそうですか。

「26~28カ月間だ」

-裁判のやり直しはあると思いますか。

公平な裁判のやり直しがあるなら私たちは応じる。それ以外の恩赦などは望んでいない。私を公平な、応援してくれる人たちが司法にかけると言うのなら良いが、そうでなければだめだ。私はそのような期待をしていないが、神がこの国を救ってくださいますように」

-マフムト・ウスル氏は「首相は裁判のやり直しを保証した」と言ったそうだが・・・

「いや、マフムト氏の表現はそうではなかった。マフムト氏との会談では首相はこの話題には一切触れなかった。完全に首相の裁判のやり直しについての世間に対する発言を信じてこのようなことになった」

-それではあなたのところには全く情報は入ってきてないのですか。

「私は知らない。どうでもいい」

-ご家族の様子はどうですか。

「皆が私たちがどこへ行ったか知っている。どうなるのかも知っている。私たちは何も心配していない」

-フェネルバフチェはどうなりますか。

「フェネルバフチェはトルコで最も重要な砦だ。何も変わらない。代表も運営も問題ない。解決するだろう。規則に沿って必要なことが行われるだろう」

■教団にも政府にも責任がある

-会見を開いて教団に触れましたね。その後その会見を訂正しました。なぜですか。

「私の会見には訂正すべきところはありませんでした。私の会見の全てを取り出していたらきりがないでしょう。私は次のように言っているのです:政府と教団は共同していた。最終的に2011年に私たちに対する捜査を教団が仕組んだ。政府は知っていたのだろうか、知らなかったのだろうか。知っていたなら教団の やったことを許したということだ。その後その過程は続いた。私たちは第16重罪裁判所で裁判にかけられた。この裁判所は首相の言った平行した国家に属しているのか。トルコ共和国にか。私には分からないし、誰も知らないだろう。政府のみが知る。

その後私たちは最高裁へ来た。第5刑事小法廷が下したこの判決はトルコ共和国に属するか平行した国家に属するか。これを首相は知っている。法務相も知って いる。彼らは明瞭性をもたらすべきだ。私のコメントは間違いとなるだろう。だが首相は何と言うだろうか。「これらの捜査全て実行したのは教団だ」これには私たちのも含まれる。私は疑いを持っており、質問する。全てを持ってきて一つの場所で壊すな。私は最後に一カ所を批判したりしない。始まりを批判している。よく聞いてください、この捜査は教団が行い、政府に責任がある。最後の部分を教団がやったとは言えない。

■教団とあの朝食

ここで初めて話します。11月25日にサマンヨルTVの代表、ヒダイェト・カラジャ氏が訪れた。私たちは一緒に朝食をとった。私の隣にはマフムト・ウスル氏もいた。サッカー連盟所属の法律家とビジネスマンもだ。その3人が来た。彼は私にシュクリュ・サラチオール・スタジアムでトルコ語オリンピックを行いたいと言ってきた。私はスタジアムの芝生を張り替える予定であることやスタジアムに問題があることから、1~2ヵ月後にならないと答えられないと伝えた。彼らは私に書面でも申請した。私も『書面で回答するつもりだが、今のところは難しい』と言った。彼らはアズィズ・ユルドゥルムはフェトゥフッラー・ギュレンと話したと言っている。私はそのような会談はしていない。私の立場についても話さなかった。一般的な世の中の話題について話した。私はそこでいくつか批判をした。教団に対しても常に不満があった。今日述べたことをその時も話した」

-なぜトルコへ帰ってきたのですか。逃げることは考えなかったのですか。

「なぜ私は1年間収監されたのか。なぜあれほど騒いだのか。結局私の無実は分からなかったのか。首相はこう言っている;『全て仕組まれていた』私たちに対しても仕組んでいた。グランドに八百長がないのなら外ではどうしてありえるというのか。あなたはエメニケを無罪放免として私を有罪としている。私は無実だと信じているから来たのだ。この国のために来た。自分自身のために来たのではない。私が恐れていないということを知らしめたかった。このようなことをした人たち全員がこの国で責任を取るだろう。10年、20年、いつか責任を取ることになる」

-刑務所に入る覚悟はできていますか。

「それは簡単だ。なんてことはない。私は落ち着いている。私には理想がある。私は62歳だが、信念により16年間このクラブにいかなる政党も関わらせなかった。公正発展党も共和人民党も民族主義者行動党もだ。16年間アタテュルクの道を歩き続けた。私は刑務所に行く覚悟はできている。だから来たのだ。 私は恐れない。いつか必ず出る。まあ死んでしまえばどうしようもないが・・・」

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( 翻訳者:南澤沙織 )
( 記事ID:32688 )