パレスチナ:パレスチナ囚人の学習事情
2014年02月01日付 al-Hayat 紙
ジャマール・アブー・ムフスィン(中央、本紙)
ジャマール・アブー・ムフスィン(中央、本紙)

■パレスチナ人の囚人たちは、イスラエル当局が彼らが公然と大学に所属することをに禁止したことを受け、ひそかに大学に所属

【チューバ:ムハンマド・ユーヌス】

ジャマール・アブー・ムフスィンは大学の最初の学年の学生であった。これは、彼が1991年に19歳で逮捕され、終身刑を宣告された時のことである。しかし、彼が数週間前に刑務所から出所した時、彼は二つの大学で学士号と修士号の学位記を取得しており、ヘブライ語と英語の2つの外国語を習得している。また彼は、博士号を取得するため、大学での職を探し始めた。

アブー・ムフスィンは、現在も彼の故郷であるヨルダン川西岸地区北部のチューバにある、家族の応接間で(釈放を祝う)有志の代表団を受け入れている。彼は以下のように述べた。「私が逮捕され、終身刑(終身刑と15年の服役)を宣告されたとき、私は刑務所と向き合う方法として、読書をする以外なかった。当初は単独での読書に頼っていた。そして私はパレスチナの歴史、パレスチナ解放機構(PLO)の歴史を研究し、その後は研究対象が経済学、科学、哲学へと変わっていった…私は多くの時間と好奇心を持っていたのだ」

また彼は付言した。「人は長い期間投獄されている時には、自身が二つの選択肢の前にいると気付く。自らを文化的に構築し、魂を保つために刑務所での時間を利用するか、あるいは自身と家族、囚人たちの負担となるかのいずれかだ」

しかしながら、今日では5,000人にも上る男女の囚人の大多数が参加する、個人的、あるいは集合的に行う自由な読書は、彼らにとって十分ではなかった。彼らは刑務所当局に、大学に所属することを要求し始めた。そしてその要求を拒否した場合には、当局が譲歩し、要求を認めるまでハンガーストライキを実行した。

(後略)



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:穴迫楓 )
( 記事ID:32784 )