オスマン家末裔、遺産請求を語る
2014年03月03日付 Milliyet紙


スルタン・アブデュルハミト2世の子孫、シェフザーデ・アブデュルハミト・カユハン・オスマンオール氏は、オスマンオール家として相続訴訟を起こしたことを明かし、「我々は相続訴訟を起こしました。(しかし)我々が先祖の財産をすべて望んだら、トルコすべてを獲得しなければならなくなります」と語った。

オスマン帝国の末期の皇帝たちの一人であるスルタン・アブデュルハミト2世の法律上の相続人11人は、「カリフ制の廃止とオスマンオール家の国外追放に関する法律」が誤った形で適用された結果、自らの財産権が侵害されたと訴えた。

■37,000件の不動産がある

アブデュルハミト・ハーンの子孫、ハルン・アブデュルケリム・オスマンオール氏、デュンダル・アブデュルケリム・オスマンオール氏、オスマン・ナミ・オスマンオール氏、アブデュルハミド・カユハン・オスマンオール氏、ビュレント・オスマン氏ら11人の相続人は、自らの不動産相続を妨げるような制限の一切含まれない、現在の相続人を示す相続権書類を要求した。報道によると、1918年に逝去し103人の相続人がいるアブデュルハミト2世には、古い土地登記に基づき確認された約37,000件の不動産が存在し、それらが裁判の対象となっている。

■一家の尊厳を取り戻したい

スルタン・アブデュルハミト2世の子孫で国外追放の後誕生した最初の王子(シェフザーデ)であるアブデュルハミド・カユハン・オスマンオール氏は、この裁判が第一に相続裁判であることを強調した。また同氏は次のように語っている。
「我々は3月27日の相続裁判を控えています。この裁判でどのような結果が出るか、皆で注目しましょう。フィクションの世界などで信じられないようなことが書かれています。皆自分の良心に手を置いてみて下さい。今や皆私たちのことを支持してくれていますが、より認めてもらい、早くオスマンオール家の尊厳を取り戻したいです。」

■その場合トルコ全体を獲得しなければならない

オスマンオール氏は、一族がこの件に注目し相続裁判の結果を心待ちにしていると強調し、次のように述べた。
「我々は相続裁判の結果を待っています。しかし我々がどの土地を欲しがるというのでしょう?そうなったらトルコ全土を手にいればければなりません。トルコにはそれほどたくさん我々の土地があるのです。イプサラからディヤルバクル、マルディンからトラブゾン、トラブゾンからイスタンブルに至るあらゆる場所に我々の土地があります。なのでそれらの土地をバラバラにではなくトルコ全体を手に入れなければならないという話になってしまいます。したがってそのような問題ではないのです。ただ、先祖のスルタン・アブデュルハミト・ハーンの個人的な登記済みの財産があります。しかしそれをどうするかということもいずれ国民の皆さんと共有したいと思います。」

またオスマンオール氏は、東トルキスタン、イラク、シリア、パレスチナ、エジプトといった世界の様々な場所でムスリムたちは虐げられてきたとし、次のように続けた。
「世界中に抑圧されたムスリムの兄弟たちがいます。残念ながら今のところそれを防ぐことはできません。世界中のムスリムたちの長がいれば、リーダーがいれば、この血は流れずに済むでしょう。いつどのように現れるか分かりませんが、こうしたリーダーが現れることを望みます。」

■「ヴァフデッティン・ハンと王子たちの墓をトルコへ移してほしい」

オスマンオール氏は、スルタン・アブデュルハミト2世の子孫として最も年長であり、オスマンオール家で二番目に高齢であるおじ、シェフザーデ・デュンダル・エフェンディが未だシリアの首都ダマスカスで暮らしていることに触れ、次のように語った。
「ヴァフデッティン・ハンと王子(シェフザーデ)たちの墓はまだシリアに存在します。1930年生まれのおじはまだ健在です。ヴァフデッティン・ハンの廟と王子たちの墓をトルコに移すべきだと考えています。シリアでは日に日に問題が深刻化しているためです。ヴァフデッティン・ハンは、『私をオスマン帝国の土地に埋めてほしい』と言いました。結果的に、あちらもオスマン帝国の土地ですから遺志は叶えられました。しかし現在、シリアの状況は悲惨です。(訳注:ムスリムの)兄弟たちが殺されています。私は(オスマンオール家の)墓をトルコに移すことを望みます。これは私の個人的な意見です。」

■「我々3人からアヤソフィアの鍵を贈ろう」

オスマンオール氏は、アヤソフィア・モスクをめぐり王家のために一人で奮闘したことを強調し、次のように述べた。
「親愛なる大統領と首相にお願いします。アヤソフィアを国民と世界中のムスリムの礼拝のために開放して下さい。この鍵を、大統領と首相と私の三人でムスリムの兄弟たちに贈りましょう。世界中のムスリムの兄弟たちがそこで礼拝できるように。」

■過去に何があったのか

スルタン、アブデュルハミト2世のすべての不動産は、彼の退位後その地位を継いだメフメット5世が、1909年4月26日に「統一と進歩委員会」(青年トルコ)によって強要された勅令で、アブデュルハミトが帝室財産に加えていた全不動産を、財務省へ移管した。アブデュルハミト2世自身は、同年7月16日に、所有していた株券を現金にして軍に寄贈した。

アブデュルハミト2世の相続人たちは、共和制宣言ののち、スルタンの遺産を得るためにトルコの国内外で種々の訴訟を起こした。専門家の報告によって、国有化された帝室財産がスルタン個人の財産ではなく「スルタン位共通の財産」であること、そしてそれらがローザンヌ条約以後に旧オスマン領に建国された諸国家に帰属するとの決定が下された。アブデュルハミトが所有したモースル石油会社の株式を要求する訴訟は結論を出さずに終わった。1940年代にこの裁判が行なわれているとき、トルコ大国民議会は1949年に二つの決定を下した。4月18日に旅券法を改正し、「オスマン王家に属する者でトルコへ戻る許可を与えられた者は、スルタンの財産を要求することができない」という条項を加えた。憲法裁判所が存在しなかったその当時は、錯綜し矛盾する法律の調整のために、議会が「解釈の決定」を下していた。そして1949年5月2日になされた「解釈」では、スルタンの財産が相続人に承継されえないという判断がなされた。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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(翻訳者:篁日向子)
(記事ID:33135)