ギュレン一族の記者発表
2014年03月09日付 Milliyet 紙

パランドケン・スキーセンターのポラト・ルネッサンス・ホテルで行われた「ギュレン一族の集い」という会合に、フェトゥフッラー・ギュレンの妹のファジレッ ト・コルジュク、弟のサリフ、セイフッラー、メスィフ、クトベッベッティンとトルコ全土から来た女性、男性、子供たち約1500人が参加した。家族を代表して記者会見をSTVの人気キャスターでセイフッラー・ギュレンの息子ケマル・ギュレンが行った。

トルコでここ暫くフェトゥフッラー・ギュレンと奉仕活動に反対するネガティブ・キャンペーンが続いていると指摘したケマル・ギュレンは、このキャンペーンが世論で深刻な分裂の発端となったと述べた。ケマル・ギュレンは次のように続けた。

「先生の親戚一同である私たちは、『ギュレン一族の集い』という集まりで、この発言から受けた深い悲しみを言葉にし、感じていることを世論と共有するという目的で、記者会見を行う。私たちの国でここのところ偉大なるフェトゥフッラー・ギュレン先生と彼の勧めによってトルコが世界に向けた微笑みの奉仕に反対する、ネガティブ・キャンペーンが続けられている。これが発端となった深刻な分裂が起きている。近々の歴史は、ひとりの知識人、オピニオンリーダー、あるいは活動について、これほど深く組織だった中傷とネガティブ・キャンペーンを経験しなかった。私たちはこの種のキャンペーンにひどく憤り、その実行者を当初より共通の良心と神の裁きに委ねている。

■押し黙って悪魔になることを望んでいない。

ケマル・ギュレンは、エルズルムでの会合にはアフラト、イスタンブル、イズミル、サムスンから、本日、国外からも来た遠いあるいは近い親戚一同が集まったと述べ、すべてのこの忌々しい発言について、心ある国民同様に、直接的に深く影響を受け、傷ついていると述べた。彼は、次のように続けた。

「先生は、エルズルムの最も有名な知識人たちの薫陶を受け、最終的にヌルスィーの作品に出合うと全霊を込めて彼の教え理解し、説明しようと努めてきた。生涯を書籍の中で過ごし、 一部は20以上の言語に翻訳された70以上の著作と、彼の考えと行動については、博士論文のテーマとなり、先生の一部著作は大学で教科書として読まれている。さらに、世界で先生の名を冠して大学で講座が設けられ、外国の学者たちでさえ偉大な先生から何を学んだかを誇らしげに説明している。私たちも家族として学ぶことの必要性を彼から学んだ。彼の勧めで大学に通った。私たちは、私たちに現世と来世での道しるべを示した先生に向けて行われた不正・不当に対して、押し黙って悪魔になることを望んでいない。」

■私たちは影響を利用しなかった

ケマル・ギュレンは、フェトゥフッラー・ギュレンが世界中で知られているにもかかわらず、今日まで兄弟も親戚もこの影響力を利用しなかったと述べた。「彼らも静かな生活を望んでいた。兄弟と親戚の静かな暮らしぶりが最大の証左である。たしかに、彼は何年も『神よ、私たちの兄弟が派手な暮らしをしないように』と祈っている」と述べた。

フェトゥフッラー・ギュレンと奉仕活動が家族が原因で恥ずべきものにならなかったし、今後もそうはならないと強調し、「皆が自分の力で暮らしを立て、苦難に耐え、身を立てていく。しかし、願わくは私たちは国民のちゃんとした判断を狂わしはしないだろう。先生を恥じ入らせないだろう。足るを知るという暮らしがなんであるか知らない者は、国の富を無尽蔵のようにみる者は、偉大なる先生に泥を投げようと立ち上がった。しかし、この泥は彼の満ちあふれた生涯において決して傷跡を残さない、ということを知るべきだ」と話した。

フェトゥフッラー・ギュレンにここ何カ月間行われた中傷とネガティブ・キャンペーンとデマが家族として自分たちを悲しませたとし、次のように述べた。

「僕に忠節を期待することさえ、神への不誠実であるとした先生は、街頭やテレビ画面から、忠節をイスタンブルの一地区のように見なす者たちによって、『偽の預言者』、『大麻』、『中身のない学者風情』、『マフィアの親分』、『ウィルス』、『吸血ヒル』といった嘘と侮辱にさらされている。とりわけ、こうした侮辱を、民主主義、透明性、人権を踏みにじる政治家が行ってはいないか、ここに私たちの失望は始まる。彼らが、あたかも不正の申し立てがないかのように、あたかも贈賄や横領の申し立てが高まっていないかのように、あたかも国のポストが偽りの上にバラまかれていないかのように、あたかも司法制度がひどく意気消沈せざるをえなくされなかったかのように、こうした大きな問題を見過ごしながら、目を閉ざして、先生を非難していることに対し、大変驚いている。」

(中略)

■質問に答えた

会場で新聞記者に「教団のメンバーが一軒一軒回って公正発展党に投票しないようにと活動を行っていると言われている。公正発展党もこれに応えて、 あなた方も党を設け対抗せよと言っている。これについてはどうか」という質問にケマル・ギュレンは、次のように答えた。

「教団のメンバーに関して話すことはない。そのことをもし教団を代弁する新聞記者団体があれば、彼らがこの問題について発言することがふさわしい。そもそも、私たち親戚が集まったのは、このような政治活動をすることや、どの党に投票しろと訴えるためではなく、私たちは単にここで尊敬する先生に向けられた侮辱・中傷・誹謗に応え、これらが正しいものではないことを主張するために集まったのであり、私たちは教団の弁護士や代表者ではなく、単に家族の尊敬すべき人びとと集うためにここに来たのだ。

他の記者から「あなた方家族として政治への関与あるいは政界入りのような意向はあるのか」という質問に、ケマル・ギュレンは、「私たちは政治からほど遠い家族である。地区長候補ですらない」と父セイフッラー・ギュレンは言っている。彼は先生の弟で私の父であり、誇りに思っている、彼の息子であることに。過去に私たちの家族は政治に関わらなかったし、今も。これは先生の一般的指向であり、私たちがそこからヒントを得て、今後も今も政治に関与しないという点を誓ってもいい」と答えた。

ケマル・ギュレンは、エルドアン首相が選挙後にギュレン教団に捜査を仄めかしたという指摘を受け、「何か緊張がありますか。投獄されることに気をもんでいますか」との質問を受けて、次のように答えた。

「この家族は1980年のクーデータ後、左右にいるイルサリフおじさんとメスィフおじさんは、反動主義者、宗教家あるいはムスリムであるという理由で捕まえられた。先生は1971年に投獄された。彼らは投獄されるといって戸惑ったりや気をもんだりしない。なぜなら歩んできた道は正しく、行ってきたことは正しいと信じているからだ。だが、何もなく、トルコ共和国の最も実りあり教養・知識の持ち主であるこの人たちを証拠もなしに、『私たちはあなたを投獄したい』と口にするなら、この夜盗行為になす術はない。法に従うまでだ。」

翻訳者より:読者の方からご指摘いただきました。ありがとうございます。

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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:33183 )