Cengiz Candar コラム:ベルキン、追悼
2014年03月13日付 Radikal 紙


イスタンブルでは昨日、おそらく過去最大であろう葬儀のうちの一つが執り行われた。ベルキン・エルヴァンのために何十万もの人々が行進した。このような「ターニングポイント」を他の葬儀でも目にしたことがある。それは約7年前(2007年1月の第3週)だった。フラント・ディンクのために集まった群衆はオスマンベイ地区からサマトヤ地区まで連なった。今回もオクメイダン地区からシシュリ地区まで溢れかえり、E5幹線道路に収まりきれなかった。シシュリ地区からフェリキョイ地区まで何万、何十万もの人が連なった。

■そしてベルキン・エルヴァンは旅立った。

次の短い詩文は、昨日のイスタンブルの状況、良心あるトルコを説明している。
*君の小さな身体は街に収まりきれなかったよ、ベルキン
君は広場で何十万もの人になった
君は人々の心の中で100万にもなった
さようなら、少年*

なんと奇怪なことだろう。良心・常識・理性・この国の現実との繋がりを断たれた男は、イスタンブルから離れた同じ国の端スィイルト県でまたしても叫んでいた。それも、ちょうどイスタンブルとトルコの何百万もの脈打つ心を反映した何十万もの人々がベルキンを見送っていた時に。

「少数の左派組織、無政府主義者、テロリスト、野蛮人たちは民族主義者行動党(MHP)、共和民主党(CHP)、ペンシルヴァニア[の住人]、平和民主党(BDP)と手を組み、街を混乱させようとしている。しかしご心配なく、決して希望を失ってはいけない。我々はこれら全ての責任を問う。」

何十万もの人々が、どうして「少数」とされ、「無政府義者、テロリスト、野蛮人」と捉えることができるのか…。これは慣れ親しんだ、良く知られている言葉だ。1960年代以降私が知っている言葉。この国で自分自身を見失ってしまった権力者の言葉だ。半世紀経った後、権力を失いたくない一心で自分自身を見失ってしまった一人の男の口から昨日同じ言葉を聞いた。

しかしセゼン・アクスのように何百万人もの魂に訴えかける「社会的感受性」の象徴となっている人は、「冷静さと判断力を失った自惚れ、権力、力に毒されたことで失われた良心はベルキンをも奪ったのだ」と記していた。

「冷静さと判断力を失った」かの「自惚れ」の持ち主であり、「権力と力の毒」に侵され、そのせいで「良心を失う」に至ったその人物は、もはや他の惑星へ移動してしまい、トルコの魂と良心から遠く離れてしまったがために、遠く離れた地からこう叫んでいた。

「昔のトルコには流血と涙と痛みがあった。我々は昔のトルコ時代を閉じた。新しいトルコでは泣いているのではなく、伴侶と子供たちと食卓を囲んで座っている母がいる」

冗談ではない、「ブラックジョーク」のようだ。ベルキン・エルヴァンの母親が心痛めているとき、アリ・イスマイル・コルクマズの母親が彼女を抱きしめ、イスタンブル史上最大の群集デモのうちの一つにおいて、15歳という小さな子供が国全体の心を締め付けた葬儀で、この言葉を発しているのだ。何千もの母親がいて、中には何年にも渡る苦難や日々の悲しみで顔は深いしわをきざみ、その手には「パン」が握られている…涙の中で静かに抗議している…。母親たちがそのようにしている中で、まるで彼女らを嘲るかのようにこの言葉が発せられているのだ。

土へと還るベルキンの最後の旅立ちを見送る群衆の中で、私の耳にはこの言葉が、頭にはフェネルバフチェ出身のトルコ代表選手ベキル・イルテギュンがベルキンの為に書いた次の言葉が響いている。

「君のその僅かに残った身体は、私たち全員の良心より、人間性より重い。人間らしさをまっとうすることができなかった人たちに天国から祈りを捧げてくれ」

トルコの将来がスィイルト県から脅かされている一方で、ベルキン・エルヴァンの死の刻印が刻まれた他の場所では、与党の気に召さない「トルコ進捗レポート」を大多数で承認した欧州評議会の会議で、ステファン・フューレが語った。

「今日に至るまでいつでもトルコに関しては好意的な演説を用意してきましたが、これらを読む機会がありませんでした。しかし今日はあなた方に個人的な見解を述べたいと思います。今日まで加盟国は全ての基準を満たした上で加盟国となりました。近道はありません。トルコも加盟国になりたいのであれば、同じことをしなければなりません。しかし我々も進捗事項の議論再開をおこなう前にさらなる要求をすれば、我々の仕事を複雑にすることになります。ここで問うべきは、EUはトルコのモデルとなるべきか?ということです。この問いに答えることが重要だ。あなた方は今日亡くなった少年ベルキン・エルヴァンの事件を話題にしましたね。私はこの件に関し、とても悲しく思っています。トルコ国民はさらなる民主主義を要求しています。私もトルコ国民のこの叫びを聞いています…。」

ここでわかるのは、トルコの民主主義への闘いはもはや、「判断力を失い、自惚れて権力に毒された」「唯一の男」の熱望とその周囲に向けた闘いによって可能となるだろうということだ。

イスタンブルは史上最大の群集デモ、フラント・ディンクとベルキン・エルヴァンの葬儀を彼の政権下で経験した。最初の葬儀ではフラントを妨害しようとしていた者が彼を殺害したのかもしれないと思っていた。

それから7年が過ぎた。フラント・ディンクの殺人は解明されなかった。解明させられなかった。さらにはフラントの死に関わる誰であれ、三日前、闇が深まる中、晩に大手を振って釈放された。

ちょうどその夜の翌朝、ベルキン・エルヴァンは「僕はもう行くよ」と言った。そしてトルコ全体を奮い立たせた。

イスタンブル史上最大のデモのうち一つである昨日の群衆の抗議は、単なる過失が生んだものではなかった。遠くない過去に生じ、多くの点で「ターニングポイント」とされたあの大規模で謹厳なフラントの葬儀と昨日の葬儀の間には基本的な違いがある。ベルキン・エルヴァンの小さな身体を通じて発せられるメッセージを良く理解しなければならない。

トルコはもはや秘密裏の略奪や不正な脅し、嘘やメディアの隠蔽で簡単に動かされる国ではなくなったのだ。

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( 翻訳者:釘田遼香 )
( 記事ID:33213 )