競売のムラト2世の寄進文書、トルコに戻る
2014年04月12日付 Zaman紙


メフメト2世の父、ムラト2世[時代]の寄進文書が10日(木)世界的に有名なクリスティーズ・オークションハウスにて出品された。オックスフォード大学の所蔵品であった、5mもの長さのスルタン寄進文書を16万ポンドでトルコ人二人組が落札した。しかしながら同オークションハウス関係者は、著名な専門家でも価値を付けられないほどの寄進文書が期待されたよりも安値で落札されたことに当惑した様子だ。

ロンドンでの今回のオークションでは、今週はイスラム芸術品オークションの週だった。8日(火)はボナムスで、また9日(水)はサザビーズで、10 日(木)はクリスティーズでと、順々に3つのオークションが開催された。これらのオークションの中でも我々の興味を引くのは世界的有名企業クリスティーズ・オークションハウスが開催したものだった。オークションではトルコのどの収集家も博物館も持っていない、メフメト2世の父であるムラト2世[時代]の寄進文書が売却されたのだ。それも非常に安価な16万ポンド(56万7千トルコリラ)という価格で。この金額は、購入者にとって適正な価格になっているが、オスマン時代のスルタンの寄進文書としては低い価格だ。著名な専門家や博物館でもこの品に価値を付けられないほどのものだからである。同オークションハウス関係者は寄進文書の最低落札価格は100万ポンドと期待したが、これほど関心が低いとは、と事態に困惑していることを語った。同じオークションではイズニクの皿が150万ポンド(530万トルコリラ)で落札されている。先日のサザビーでのオークションでは19世紀に描かれたペルシャ皇帝の肖像画が250万ポンドで落札されたことを念頭に置けば、1400年代の、5mにも及ぶ貴重なスルタンの寄進文書に対して、書や勅令を集めるトルコ人コレクターや国の要人が無関心に止まるとは想定されていなかった。

オークションにトルコから参加した、骨董品市場で著名な人物は、オメル・ディンチェル・クルチ氏とフェヤズ・オザイ氏の二人だ。落札者のクルチ氏とオザイ氏は、これほどまでに大変貴重な文書を ―メフメト2世の寄進文書ですらとても希少である― この値段で落札でき、有頂天になっていた。我々の文化が生んだ作品がトルコへ戻ったことはすばらしいことだが、寄進文書の価値に誰も気づかなかったことは残念である。

■1427年1月2日に記載

修道者のためにアマスヤで修道場を創立する目的でユルグチ・パシャにより寄進された物件に関する寄進文書は、6枚の紙を張り合わせ、アラビア語で1427年1月2日付けで書かれたものだという。そこにはムラト2世の黒い花押がナスィフ書体と黒インクで書かれている。優美なコーランの最初の章句で始まる寄進文書の本文の周りには、かなりの数の覚え書きや印章がある。裏面には証人として5、6人の宰相のサインがある。裏面の上には緑の布があり、端に小さなしみのついた作品の大きさは横469.9cm縦29.2cm。

勅令では、アマスヤに建てられる建物に関する特色と寄進された物件の詳細が記載されている。これとともに修道場を監督する長老、建築の完成を祈るイマーム、毎日コーランの章句の一節を読む4人のコーラン暗記者、一名の使用人、警備員、料理人、弟子、かまど係と助手、簿記係(会計士)と出納管理者が規定されている。文書では、寄進物の管財人(管理人)に、[ユルグチ・パシャの死後]寄進者の息子であるムスタファ氏がなることが書かれていて、彼の死後に寄進者の血縁者が[その職を継ぐことについて]言及している。

ユルグチ・パシャは、1428年アマスヤで建設し、目下自身の名前の付いた墓所を内包しているモスクを建築した人物として記録に残っている。寄進文書で言及されているイスラム学院と修道場はこのモスクの向かいに存在していた。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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(翻訳者:伊藤梓子)
(記事ID:33479)