Oral Calisirコラム:AKPに対する現実的な対抗策
2014年04月12日付 Radikal 紙

公正発展党(AKP)に対抗するには、多元的で普遍的な民主主義のプログラムと、これに適した精神の刷新が必要だ。

これは、AKP政府、とくにエルドアンを、いったいどうすれば倒せるのか、という問題に端を発している。

(エルドアンは)「我々は55~57%で、彼らは43~45%だ」と言っている。つまり、彼らは自分たちを多数派だという。「我々は55%だ」と強調する。実際、(反対派の)43%のなかには、共和人民党(CHP)がおり、民族主義者行動党(MHP)がおり、平和民主党(BDP)がおり、至福党やその他の政党がいる。互いになんの関係ももたない構成要素の合計が43%だ。これに対し、AKPに投票した人々は一枚岩だ。AKPは最も近い政党に比べ15%以上リードしている。

政治のルールによれば、エルドアン首相を望まない人々は、自分の考えを実現するため広場やメディア、投票箱で闘うしかない。党内で反対を示す。合法的な政治闘争の方法の中で、目的に到達するよう努力するするしかない。

しかし、トルコにおける問題は、民主的な方法の正当性について、協調性や市民的な契約関係がないことだ。怒りや失望、特に12年間で根付いた「連戦連敗症候群」は、一部の人々を「古い方法」(=クーデター)に再び戻させようとしている。この方法は、合法的でないツールを使った政権転覆願望によっている。自分たちを、歴史的に、また倫理の観点から見て、今の政府より良いと考える一部の人間は、より良いものが政治を行うためにはいくつかの「近道」に訴えることが必要だと考えうる。

そう考える人は、自分がこの国をよりうまく統治できると信じているかもしれない。AKPは反動的な政党である、もしくは時代に取り残されている、という方向で分析、議論、観察するかもしれない。政府のスタッフや自治体が、不十分で経験のない人間だらけだと考えるかもしれない。

しかし、肝心なことは、民衆の支持を獲得できるかということだ。「投票箱がすべてではない」という考え方は一考の価値があるにしても、民主主義の始まりには選挙がある。エジプトは、起こりうることの「最新の例」として、我々の前にある。

■権威主義化

繰り返される選挙での勝利、与党がすべてを掌握しているという考えが、エルドアン首相に「あらゆることの正解は私が知っている」と思い込ませたのかもしれない。ゲズィ運動の際、「ワンマン」な精神状態と「イスタンブルを自分の頭に従ってデザインする」という論理の影響によって、対立は激化した。政府は、過剰な暴力を使い、深い傷を残した。そして、暴力をエスカレートさせたい人々に、いい口実を与えた。「世俗的なグループ」のうちの非常に多くの人々が、この時期に、対AKPの前線に立った。

その後、12月17日(収賄捜査)が訪れた。盗聴録音によって深まった「異常化」を止めるため、権威主義化を限界まで進める一連の法律上、行政上の対策が取られた。

■我々は何をできるのか?

我々は、政府のなんでも禁止の政策に反対する。汚職の清算を求める。ワンマンで「私は知っている」という傾向を指摘する。民主化のリトマス試験紙のうちの1枚は、クルド人やアレヴィーの要求だ。トルコのすべてをカバーする「自由の絵」は、クルド人やアレヴィーのアイデンティティの闘いから切り離されて進展することはありえない。生活スタイルの問題と盗聴録音ばかりを問題にするCHPの、クルド問題と個人の権利に関する対応は、中間的な立場をとるMHPが反対する中で、どこまでいけるだろうか?

AKPに対抗するには、多元的で普遍的な民主主義のプログラムとこれに適した精神の刷新が必要だ。国会で承認された法を見ると、残念ながらCHPとMHPの中で権威主義的な国家像の伝統が続いていること、AKP以上にクーデター体質の存在が続いてことが見て取れる。

野党は「新憲法」について、沈黙を保っている。クルド問題に対して、トルコ民族主義に囚われている。個人の権利と自由、労働者の権利とEU加盟問題について、明確なことを述べていない。大統領選挙に立候補する可能性のある候補が、これらの問題について発言する、信じるに足る言葉を持っていることが必要だ。

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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:33480 )