Cuneyt Ozdemirコラム:エルドアン1915メッセージを、賞賛する
2014年04月25日付 Radikal 紙

エルドアン首相の(訳注:いわゆるアルメニア人虐殺事件から100年を目前にアルメニア人に対して発した)哀悼のメッセージは、勇敢かつ配慮の行き届いた最初の一歩として、拍手喝采を浴びている。

エルドアン首相が4月24日に起きた「周知の事件」に対して表明した哀悼は、どこからどう見ても、未だかつてない重要な第一歩である。
私は全く予期していなかった。驚いた。しかも私は数日前にアゴス紙から4月24日に関する記事を求められたときに、「とりたてて新しいことは起きないだろう」という、希望のない記事を書いて送っていた。一部のメディアは(首相のメッセージに)でかでかと見出しをつけて報じている。しかしどうだろうか、このような一歩を長い間待ち望んでいた人々は、それもアルメニア人自身でさえ自粛している。心から首相を祝福し、「よくやった」と言えずにいる。
彼らはなぜ手放しに喜ばないのだろうか?
これが最初で最後になること。首相の非民主的発言と矛盾していること。公正発展党が近ごろ抱える最大のジレンマもここから生じているのだろう。一方では人々を分断する言説を用いて抑圧的体制を徐々に築きあげ、他方では平和アプローチに見られるように長年にわたる内戦に終止符を打とうとしている。一方ではゲズィ事件で命を落とした少年たちを謗り、他方では長年のタブーに友好的に手を差し伸べている。
このような状況では、とても心安らかに支持することなどできない!
一部のメディアは、公正発展党を完全に「感情的な」理由により全面的に支持している。また一部のメディアは、公正発展党の行いに怒りをもって全面的に反対している。
その中間に留まり、ジャーナリズムの良心に基づき、正しいことには正しい、間違っていることには間違っていると言い続ける我々の身にはさまざまなことが降りかかっている!
まあよいとしよう。
エルドアン首相が発表したこの哀悼のメッセージは、勇敢かつ配慮の行き届いた第一歩として、拍手喝采を浴びている。
よくやった!

〈以下略〉

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( 翻訳者:篁日向子 )
( 記事ID:33625 )