Taha Akyol コラム:共通の痛み―エルドアン1915メッセージ
2014年04月25日付 Milliyet 紙

エルドアン首相は1915年の事件故にアルメニア人たちに向けて哀悼のメッセージを発表した。

こんなことは初めてだ。2009年9月、アルメニアとの関係を正常化させ、「ジェノサイド」の主張[の判断]を歴史家たちに委ねるため、ふたつの議定書が調印された。哀悼メッセージは、同様の政策のトルコ側からの継続である。この件に関しては内政的な点からだけでなく、いかにしてふたつの国の間にある深い感情的なもつれを解決するかという点から考えることが必要だ。

◆「皆の共通の痛み」

エルドアン首相の発表の中で支配的な視座は、第一次世界大戦時が「トルコ人、クルド人、アラブ人、アルメニア人と他の何百万ものオスマン帝国の同胞にとって苦しみに満ちた時代」であったことを強調するものである。事実、発表の中では「真っ当な人道的で良心的な態度は、宗教や民族的出自に目を向けず、この時代に生じた全ての痛みを理解することを必要とする」と述べられている。アルメニア人が経験した痛みについても、同様な全体的視座により取り扱われている。「オスマン帝国のほかのすべての同胞たちと同じく、あの時代に生まれたアルメニア人の痛みの記憶を理解し、共有することは、人間としての務めである。」そして発表は次の言葉で締めくくられている。「同じ時代の似通った状況において、命を落とした、民族や宗教の別なく、全てのオスマン帝国の同胞に、神の慈悲があらんことを、敬意を持って追悼します。」

 発表では今事件が「皆の共通の痛み」と表現され、人間的な感覚に訴えかけたことは正しいと思う。私が2009年に発表したドキュメンタリーの題目も「1915年、共通の痛み、トルコ人とアルメニア人」であった。

◆内政的観点

 本件に関する私たちの立場から見る限り、首相の発表には欠けているものや余分なものがあることがわかる。だが忘れてはならないのは、解決に向けて取り組まれなければならないトルコ人とアルメニア人の問題が存在し、その問題が国際的なものであるということだ。一方の側だけではなく、相互が歩み寄ることで、解決へと近づくことが可能になるのだ。「アルメニア人が我々を切りつけた」との言説がもはや時代遅れとなっているのと同じく、「ジェノサイド」だと言い張ることも問題の解決を妨げている。トルコ側が「ジェノサイド」を否定し、かつあの時代の痛みを理解して歩み寄る視座を生み出すことで、より発言力を高めることができる。現にこうした事例は少なくない。

 発表は一方的なものではなく、アルメニアのナショナリストに対しても「歴史から敵愾心を引き出すこと、痛みを競いあうこと、トルコ国内かく乱のための口実として利用すること、政治的衝突の材料にすること」を止めるよう呼びかけられている。この発表は、今後世界の外交の舞台においてトルコの助けになるはずだ。

◆傷を治療する時

 今やらなければならないことは国内外のアルメニア人の発言を緩和させることと、争いの原因である「ジェノサイド」という言葉の代わりになる別の概念を見つけることだ。[アルメニア人虐殺法案に関する]フランス憲法委員会の[否定的判断の]後、[訪問先のスイスでペリンチェキ労働者党党首が虐殺を否定したことで裁判となった]ペリンチェキ訴訟について欧州人権裁判所(AİHM)が下した2013年12月17日の判決も、「ジェノサイド」概念が広まらないであろうことを示している。

 歴史研究でも「誰が誰を殺害したのか」に限らず、新たな見方を広げている。中でもエドワード・J・エリクソンが2013年に発表した『オスマン人とアルメニア人、反乱対策の研究』という学術的研究が特に重要だ。アルメニア人武装組織が1880年代に始め、第一次世界大戦を「チャンス」だとして武器を用いた 「反乱」をエスカレートさせ、オスマン政府側が「反乱鎮圧」の方法として「強制移住」を実行したことで起こった悲劇…。

 ムスリムとアルメニア系[キリスト教徒]は何世紀もの間本当に親しい間柄であったため、両者の衝突は双方にとって恐ろしい悲劇となってしまった。もう互いの傷を治療する時が来たのだ。そろそろ「傷を治療する」ために発言するべきである。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:白鳥夏美 )
( 記事ID:33626 )