メーデー、トルコの1日
2014年05月01日付 Hurriyet 紙


DİSK(トルコ革新労働組合連盟)のメンバーたちは、シシュリの本部へ集合し始めた。タクスィム広場へ続く道はすべて封鎖され、すべての公共交通機関の出入り口にはテープが張られた。ベシクタシュでCHP(共和人民党)のバスが撤去されたことに関して(CHPは)「クルチダルオール党首が来た時に使用するものだ」と抗議したが、バスは撤去された。2人が(撤去の)阻止を試みて、拘束された。09:00頃に警察が介入に乗り出し、その30分後には2回目の介入が行われた。ベシクタシュのオルタバフチェでは11人が拘束された。5月1日の動きを細かく振り返ってみよう。

20:03
イズミルで36人が拘束。
イズミルでは、メーデーの祝賀に続いてバスマーネ広場にある共和人民党のコナック区にある建物に向けて行進しようとした集団に警察が介入し、36人が拘束された。拘束された人たちが健康診断を受けてから事情聴取が行われ、またその後釈放されると報道された。この際、仲間を拘束されたデモ参加者は広域市庁舎の前で短時間座り込みを行ったが、やがて解散した。

18:30
トルコ医師連合がメーデーの一連の出来事に関して、「少なくとも4人がトラウマになり、1人が耳にケガ、1人が腕を骨折、15~20人が催涙ガスのカプセルで負傷しています。診療所には催涙ガスの影響を何百人もの訴えがあり、1人は失明に至る可能性のあるケガを目に負っています」という発表を行った。

17:50
イスタンブル県知事府が、メーデーの一連の事件で19人の警官を含む90人が負傷し、142人が拘束されたと発表。

17:30
オクメイダヌで小さな衝突が続いている。

17:0015
シシュリの歩行者天国と、メジディイェキョイの車道が封鎖解除。

17:00
タクスィム-ドラプデレ間で警察がしいた警備体制は継続中。

16:45
ベシクタシュのバルバロス大通りが封鎖解除。

16:30
タクスィム方面が封鎖されていたウンカパヌ橋が封鎖解除。

16:15
イスティクラル通りの路地に集まっていた約20名の集団が、警察に抗議し通りに出ようとした。バルクパザルの入り口で「あらゆるところがタクシスィムだ、あらゆるところで抵抗だ」というスローガンを叫ぶ集団に対し、警察は解散するよう警告した。抗議集団は警告に応じず、TOMA(暴動鎮圧装甲車両)からの高圧放水とプラスティック弾で介入された。デモ隊は路地に逃げ込み姿をくらました。警察の警戒は続く。

15:55
カドゥキョイでメーデーの祝賀が終了。

15:45
国民の民主主義党(HDP)の共同党首エルトゥールル・キュルクチュ、サバハハット・トゥンジェル両氏とレヴェント・テュゼル国会議員が、イスティクラル通りにある党の県支部に到着。HDP党員はしばらくの間その場にとどまり、その後イスティクラル通りを行進した。そこでキュルクチュ共同党首は報道関係者に対して次のように述べた。「イスタンブルのあらゆる場所にはびこる諸事件に我々は抗議している。現在イスタンブルは自らの治安部隊、自らの政府の圧力の下にあります。我々自身の祝日を祝うことが禁止されているのです。政府は5月1日にタクスィム広場から労働者を締め出そうとしたわけですが、全イスタンブルとタクスィムはメーデー一色です。警備のせいで労働者たちは仕事場に行くことすらできないのです。どこからどう見ても矛盾しているし、ばかげたことですよね。」

15:35
カドゥキョイのメーデーの祝賀で、何千人もの人々が続々とカドゥキョイ広場に集まった。オヌル・アクンの歌で盛り上がり、音楽に合わせてハライを踊った。

15:20
イスタンブル県知事府が発表で、「運休となっていたトプカプ-エミノニュ間のトラムヴァイとエミノニュ-ソウトリュチェシュメ間のメトロバスの運行が再開した」と述べた。

14:45
メジディエキョイ周辺で朝から現在まで続いている緊張はしばしば衝突へと変わった。警察へ投石しバリケードを築こうとするデモ隊に対し、放水と催涙ガスで解散が試みられた。警察は、オルタックラル通りいっぱいで続くデモで、女性を含む多数を拘束した。拘束されたデモ隊員たちは身体検査を受けたあと警察車両に乗せられた。

<中略>

14:30
シシュリの路地では警察が介入を続けていたが、新聞記者たちもそれに巻き込まれた。アビデイ・ヒュッリイェト通りでは、顔をマスクで覆い警察に石や瓶を投げる群衆に対して警察がTOMAで介入した。介入は催涙ガスの入った高圧水で行われ、その際に出来事を追っていた記者たちも巻き込まれた。あるアパートの入り口からその光景を撮影しようとした記者たちにTOMAが放水したのである。記者たちは放水により水浸しになり、さらにカメラにも被害が出た。

13:52
タルラバシュで行われた検問で、ハンドメイドの爆弾4つと大量の火炎瓶が押収された。

13:16
警察はタクスィムに向けて行進しようとするグループにベシクタシュ、シシュリ周辺で介入しており、その際に負傷した者たちが病院に運ばれている。シシュリ・ハミディイェ・エトファル教育研究病院の救急サービスに運ばれたある警察官は、ジェヴァーヒル・ショッピングセンターの前で脚を負傷したという…目の下にガスのカプセルが命中したという人もシシュリから救急車で病院に運ばれた。また一方でガス爆弾の影響を受けた人、トラウマになったという人も救急車で救急センターに運ばれて治療を受けている。

13:30
メジディエキョイのメトロに乗っていた多くの乗客が催涙ガスを浴びた。

12:12
DİSKと金属産業連合組合のメンバー、約100人はアルトゥニザーデからボスフォラス大橋まで行進した。メーデーを祝うために対岸へ渡ろうとする集団に対して警察は許可を与えなかった。そのため、橋の入り口でデモを続けた労働者たちは、そこでスローガンを叫びハライを踊った。デモをしばらくの間ボスフォラス大橋の入口で続けた労働者らは、その後、乗ってきた 車に乗ってボスタンジュにある本部へと戻っていった。

11:51
DİSKのメンバーは総本部の前からハラスカルガーズィー通りまで下りてきた。11:00に行進を始めたデモ隊の先頭は、シシュリのアタテュルク邸の前でバリケードを築いた警察に阻まれた。DİSKの指導者たちは警察と交渉に入った。タクスィムへ行くことを頑として譲らないDİSKのカニ・ベコ組合長と、「お前たちの後ろには覆面の集団がいるだろう」と言う警察署長との間で話し合いが続く中、群衆の中から警官隊に投石が始まった。

投げられる石と瓶の数が増えると、警察はTOMAからの放水で介入を開始した。そのすぐ後には催涙ガスを使った介入も行われた。集団はDİSKの総本部や路地に逃げ込んだが、それでもその周辺での緊張は続いている。

ベシクタシュのオルタバフチェでは11人が拘束された。

11:20
DİSKの総本部で早朝からずっと待っていた労働組合員たちは、タクスィム広場に向けて行進を始めた。行進の進路は、厳重な警備を行う警察に阻まれた。

10:20
ファーティヒ・モスクの中庭で反資本主義者ムスリム団のメンバーからなる集団が、メーデーで亡くなった労働者たちのために故人不在の葬儀の礼拝を行った。彼らはその後、タクスィムへ向かうためモスクから行進して出て行った。

10:00
オクメイダヌ病院周辺で衝突が発生。大量のガス爆弾に対してデモ隊はバリケードを築き、投石で応戦する。

09:40
国道E-5番線のメジディエキョイ地点で道を遮っていたデモ隊に警察が介入。

<中略>

09:25
オクメイダヌ病院の前にデモ隊が集まり始めた。

09:00
トルコ労働組合の組合員たちがタクスィムへ向かってきた。集団はカザンジュ坂にいる。

08:50
ベシクタシュで警察がTOMAを使って介入を開始した。ベシクタシュのバルバロス広場に集まったデモ集団に対して警察は「解散せよ」とのアナウンスを行った。デモ隊が警告を無視すると、まず盾で、次に催涙ガスを使って介入した。逃げるデモ隊員に対して警察はTOMAからの放水を浴びせた。警察の隊長はTOMAを運転する警察に対してメガホンで指示を出していた。警察隊長がTOMAに向けて「よし、TOMA放水」「TOMA放水一回」「TOMA前方へ放水」と言うのが聞こえていた。

08:45
CHP党員で、イスタンブル県選出のマフムト・タナル国会議員は警察のメーデーを祝った。その後、同議員は警察の不介入と催涙ガスの不使用を警告し、「欧州人権裁判所の決定で、労働者にはデモと行進の権利がある」と述べた。タナル議員と数名のデモ隊員はバリケードの前で座り込みを行い、「ベルキン・エルヴァンは不死身だ」、「15歳の若木、ベルキン・エルヴァン」というスローガンを叫んだ。

08:30
ハラスカルガーズィー通りとタクスィム広場に続くすべての路地が警察のバリケードによって閉鎖された。3台のTOMAと機動隊も盾を持って待機している。

08:00
イスタンブル県知事府の命令により、警察はメジディエキョイからハラスカルガーズィー通りをフェンスで閉鎖した。しかし閉鎖された通りにはラペ病院とシシュリ・エトファル病院があり、警察がフェンスの中に誰も入れないということがわかると、病院に行きたい人たちの間で激しい口論が起こった。

07:40
バルバロス大通りの入り口にあったCHPのバスが警察によって撤去された。しかし座り込みを行う人びとはこれを阻止しようとした。CHP党員たちはケマル・クルチダルオール党首がイスタンブルへ来るときにバスのうちの一つを使い、そのほかは報道関係者のために用意されたものだと言う。しかし警察は、前の日から通りの入り口にあるバスを撤去するつもりだったが撤去しなかっただけだとし、レッカーを呼んだ。バスを引くロープが切れ、警察を妨害しようとした2 名が拘束された。交換されたロープで、CHPのバスは大通りの入り口から撤去された。

07:20
CHP(共和人民党)のベシクタシュ区支部の前に集まった集団と警察がにらみ合っている。警察は集団に向けて解散を呼びかけている。

07:00
タクスィムのイスティクラル通りの店の多くは閉まっている。

06:50
DİSKのメンバーがシシュリにある総本部前に集まり始めた。

06:30
ベシクタシュのムラト・ハズィネダル区長は06:00頃に広場で清掃を行う労働者たちと共に共和国記念碑に花輪を置いた。ハズィネダル区長と記念碑に花輪を置く労働者たちは、箒を携えることが許されなかった。

<中略>

■フェンスが張られた

イスタンブル県知事府が行った発表で、タクスィム広場でメーデーの祝賀が禁止されてから、数日前にタクスィムとその周辺に運び込まれていた警察の鉄製フェンスが00:30以降告知されていた地点に張られ始めた。職員たちはまずタクスィム共和国記念碑のまわりを閉鎖し、その後段々とタクスィム広場およびタクスィムへ続く道にフェンスを張った。

■改札口にテープ

メーデーのためイスタンブル広域市が以前から公表していた交通警戒措置の一環として、いくつかのメトロバスとメトロの駅の改札口にセキュリティテープが張られた。

■TOMAの配備

警備がしかれる地域には、夜にかけて「サソリ」と呼ばれる警察の装甲車両とTOMA(暴動鎮圧装甲車両)が配備された。

■機動隊がイスタンブルへ

02:30以降、トルコ航空の飛行機に乗って、サムスンやエルズルム、イズミル、カルスから大勢の機動隊の警官がイスタンブルへ到着した。機動隊はその後、アタテュルク空港の国賓館の前で待機していたバスに乗って配備先へと送られていった。

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( 翻訳者:今城尚彦 )
( 記事ID:33730 )