クラリネット名手・セリム・セスレル、死去
2014年05月10日付 Hurriyet紙

心不全の治療のためイスタンブルの病院に入院していた有名なクラリネット奏者のセリム・セスレル氏が死去した。セリム・セスレル氏は9年前から始まった心臓の不調を原因に、5年前にはステント(血管などの人体の管状の部分を管腔内部から広げる医療機器)を、さらにその後は人工心臓を装着していた。移植リストで心臓の提供を待っていたセスレル氏は、2012年2月以来世界で最も小さな人工心臓装置を付けて生活していた。2012年8月に ヒュッリイェト紙のメスデ・エルシャン記者のインタビューを受けたセスレル氏は、病床の上でさえも彼の愛するクラリネットと一緒にポーズを決めており、「心臓移植が終わった時には再び自由になれるんだ」と語っていた。

<中略>

■セリム・セスレル氏とは誰か?

ロマにルーツを持つトルコ人音楽家であり、クラリネットの名演奏家である。エディルネ県のケシャン郡で生まれた。
もともと彼の家族は、ギリシャのドラマ県のプロのズルナ(西アジア諸国における民族楽器の1つ)演奏家であった。1923年の住民交換(この年締結された ローザンヌ条約によって、トルコ・ギリシャ間でムスリムとギリシャ正教徒の住民交換が行われた)の結果、彼の家族はケシャン郡のイブリクテペ村に移り住み、その後ケシャン郡のイェニメスジト地区に引っ越したのである。最初セスレル氏はズルナの演奏を学んだが、1960年代に大太鼓とズルナの演奏家の家系に生まれた多くの若者が細い楽器を吹き始めたとき、彼もクラリネットを始めた。14歳のとき、村の結婚式や定期市で演奏をするようになった。 1980年代にはさらに大きな場所に演奏しに行くロマの演奏家集団に参加して、音楽の能力を向上させるためにイスタンブルへ向かった。イスタンブルでは、レストランや民謡楽団、フェルハン・シェンソイ劇場のミュージカル、そしてロマの有無に関わらず多くの結婚式で演奏し、多くの録音を残した。

1998年にはブレンナ・マクリモン(カナダのフォークシンガー)と一緒にカナダツアーへと出発し、トルコのロマとトルコのヨーロッパ側のルーツを代表した。数多くの音楽の経験を積んだ後、地方に根差す豊かなレパートリーと演奏様式を身につけ、この分野の生き字引のような存在となった。ロマたち、そしてロマでない人々の間でも、即興演奏のすばらしさによって、宴の旋律と日常の踊りの旋律におけるトップクラスの表現者としての評判を獲得した。

ファティヒ・アクン監督の映画、「愛より強く」と「Crossing the Bridge: The Sound of Istanbul」の中でもその演奏が用いられている。

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(翻訳者:小瀬康太郎)
(記事ID:33828)