Tunca Benginコラム:死は炭鉱労働者の運命ではない
2014年05月15日付 Milliyet 紙

トルコを深い悲しみに包んだ炭鉱業史上最大の悲劇が起こったソマでは、1万6000人の炭鉱労働者が働いている。このうち1万2000人は地下で労働している。もっと正確には、人口の10分の1が「完全なる闇」で生きているのだ…。毎日家族や子供たちと別れを告げ、地下に降りていく。別れを告げないなどということができるだろうか?炭鉱都市として知られているソマでは、2013年だけ見ても発生した労働災害の数は5000に上る…。これらのほぼ全てが炭坑で起きており、その多くが高温火傷という結果に終わっている。しかし壁に「手のひらほどの炭のために人生を捧げた者へ」という書付があるソマ国立病院には、火傷専門の科が存在しない。そのため特に炭鉱で負傷した者は、他県に搬送のため何時間も待たされている。これもまた死亡率増加の原因となっている。こうしたことを経験したし、今また経験している…。

昨日「暗黒の振動」が崩壊させた炭鉱から[出て来た]火傷を負った炭鉱労働者を見たとき、最初に頭に浮かんだのは次のことだった。1時間しか持たない酸素マスクで最後の息が途切れるとき、「何を、または誰のことを」考えていたのだろうか…?

それは恋人、子供、母親、父親を、もしくは家賃、借金、失業だったのだろうか?
その後、今回の事故に関する首相のコメントが思い浮かんだ。「(炭鉱の)性質上このようなこととは隣り合わせなのだ。事故が全く起きないということはない。もちろん事故の規模がここまで大きくなったことは我々を深く傷つけた。」

首相は同じことを30人が地すべりの下に生き埋めになった2010年のガス爆発の時も言っていた。しかしこの意見には賛成しがたい。まるで安全対策がとられていたかのように、労働者の安全が存在しているかのような振舞いを目の当たりにした後であれば尚更だ。なぜならこの炭鉱の壁に「安全第一」「注意して働こう、事故を防ごう」「労働災害の防止は君の手にかかっている」「労働の安全は全員のためである」と書くだけでは十分ではないからだ。

このようなことを思いながら何百台もの救急車の間を歩いているとき、アンカラからやって来た様々な政党の議員たちを見かけた。そして2014年4月29日の議会の様子を思い出した。ソマのことが次のように言われていた。「炭鉱では継続的に爆発が起こっており、その爆発で損失を受けている。質疑への答えは 『10回検査をし、66箇所の欠陥に対しこれだけの罰金を科した』だった。結果は新たな爆発、新たな死者だ。」

この議員たちが、今日ではなくその日に来ていれば…。

■希望を捨てずに待っている

何百もの労働者の墓場となったエンヤズ地区の炭鉱は、郡の中心地から30km離れた森林の果てにある…。炭鉱を上から見下ろす丘では何百もの車が集まっている。下には救急車、赤新月字と捜索救援研究協会(AFAD)の関係者がいる。炭鉱の出口には人々がまだ希望を持って待機している。一方には生きて救出された家族を見て喜びを隠す人々。もう一方には死の知らせを聞き嘆きを心の中に押し込めている人たちがいる。誰の口も開かない。聞こえるのは救急車のサイレンだけ…。そして長時間待機した後に関係者が読み上げる救出された名前のリスト…。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:釘田遼香 )
( 記事ID:33871 )