8時間後に救出の炭鉱夫の証言「遺体の間を這ってでた」
2014年05月16日付 Yeni Safak 紙


ソマで起きた大惨事で最初に救出されたアリフ・ドゥドゥさんが、どのようにして助かったのか語った。瓦礫の中で8時間半もの時間を過ごした恐怖の記憶を語ったドゥドゥさんは、「遺体の上を這うように進んだ」と話した。

マニサ県ソマ郡における大惨事で瓦礫から抜け出し、今日(16日)治療を受けていた病院を退院した27歳のアリフ・ドゥドゥさんは、大量の煙で意識を失い地面に倒れて命を失った仕事仲間たちの上を這いながら8時間半かけて外に出ることができたと話した。搬送された私立病院を本日退院したアリフ・ドゥドゥさんは、自宅で53歳の父アリさんと50歳の母ナジイェさんに涙で迎えられた。ドゥドゥさんは惨劇の始まった時間に経験した恐怖に満ちた8時間半をわれわれに語ってくれた。勤務の交代時間まで残りわずかとなり、最後の準備をしていた時に配電装置が爆発し、煙が彼らの方向に向かっていると感じたと話すアリフ・ドゥドゥさんは、以下のように話した。「近場によく知っていて逃げられる場所がありました。すぐにその場所に向かい、30~40人の炭鉱夫がそこに入りました。その場所の酸素が薄くなり何人かの仕事仲間が倒れ始めると、私はそこから離れました。意識を失い倒れて死んだ仲間たちが地面にいたため、歩くのは不可能でした。仲間たちの遺体の上を這うようにして、以前から知っていた500メートル程先にある酸素ボンベのある場所に向かいました。道中、何人かの仲間が苦しんでいるのを見かけました。一人か二人ほど担いでいこうとしましたが、それはできませんでした。その後、12キログラムの工業用酸素ボンベのある場所にたどり着きました。ここで3人の炭鉱夫がボンベをあけて酸素を吸っているのを見ました。私のこともその中に入れてくれました。酸素ボンベで呼吸しなんとか生きながらえる中、ほんの数メートル先で意識を失う仲間たちの姿が見えました。彼らもそばに呼び、酸素を吸引できるようにしました。私が見かけた何人かの意識を失いかけた仲間たちにも酸素を吸引させ、地面を這うようにして進み続けました。酸素ボンベは節約して使うよう努めました。」

■8時間半に及ぶ闘い

惨劇の始まった瞬間から約8時間半もの間瓦礫の中に残され、遺体の上を這うようにして外へと脱出したと話すドゥドゥさんは、さらに以下のように語った。「体力を消耗しないよう、そして酸素をたくさん消費しないように私を含む4人はゆっくりと動きました。その後、機械の稼働をよくするための換気口を見つけました。私たちはその換気口を開いて外の空気を吸いました。しばらくすると新鮮な空気が入ってくるようになりました。その後、救助隊員が私たちのもとに到着しました。救助隊員は私を背負って意識を半分失いかけた状態で外に出て、私は病院に運ばれました。私のいたグループからは4人だけが一緒に外に出ました。残された仲間たちがどうなったか、私は知りません。他の仕事が見つかれば、もう炭鉱には戻りません。しかし仕事がありません。また炭鉱に戻るしかありません。あの体験の記憶は、死ぬまで忘れることはできません。」

■救助隊員も倒れた

死の淵から救出されたアリフ・ドゥドゥさんと同じ炭鉱で5年間ともに働き、事件当時は外にいたと話すバキ・ドゥドゥさんは以下のように話した。「弟が炭鉱の中にいるとわかり、私は救助隊員らとともに中に入りました。何人かの救助隊員は意識を失い倒れました。私は一部の仕事仲間の救出を手伝いました。数時間経過しても弟の姿が見えず、私は頭がおかしくなりそうでした。約9時間の後、ある人の背中に弟の姿を見つけたとき、やっと私は自分を取り戻しました。」

アリフ・ドゥドゥさんの母ナジイェさんも、以下のように話した。「炭鉱で働く二人の息子を、神様は私たちのもとに導いてくれました。しかし子どもたちが助かったことを喜ぶことはできません。なぜならあそこにはたくさんの人達が残されました。そしてたくさんの子どもたちの命が失われました。この状況をいかに喜べましょうか。」



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:指宿美穂 )
( 記事ID:33901 )