シリア:日本人女性が反体制武装闘争に参加
2014年05月27日付 al-Hayat 紙

■日本人女性の鈴木さん、「自由シリア軍」を支持…しかし「ダーイシュ」には反対せず

【イドリブ:フダイル・アルジャ】

かくして戦争により、被災者は自らの意に反して避難する一方、人々は、戦火のなか、破壊のはざまで立ち止まり、「戦争観光」にふける人がいるとの多くの報告もなされている。

祖国で勇気をたたえられ、賞を得たいという理由で写真を撮りたいと欲する者もいる。自らの主に近づくメッセージを戦闘に見出そうとする者もいる。その結果、今日のシリアは、さまざまな言語、さまざまな文化がめぐり会うことのできる場となっている。

鈴木美優さんは、自らが訪れた地域で目の当たりにした破壊を前にして、戦争がこれほど残酷なものだとは思ってもみなかった、という。24歳にも満たないこの日本人女性は、シリア人の家族と生活を共にし、その生活を書き記し、アラビア語を学ぶためにはるばるやってきたという。彼らのほとんどが外国語を知らず、また彼女がアラビア語に無知であるために意思疎通が容易ではなかったにもかかわらずである。

「ライラー」。トルコ国境の都市やイドリブ郊外の反体制派支配地域で会ったシリア人が、彼女の名前を覚えるのが難しいということで選んだ彼女のアラブ名。しかし結局、彼女が身を寄せ、彼らの習慣を知るための意思疎通には身ぶり手ぶりで十分だった。彼女によると、彼らの習慣は「アジア人女性である自分の習慣とすごくにている」ことが分かったという。ただ彼女にとって「男性とあまり話してはいけない。一人で出歩いてはいけない。ここの人々は、こうしたことに大きな注意を払っている」のが問題だったという。

「ありがとう」「いただきます」。この二つが、多くを分け与え、家の扉を開いてくれる人々と話すときに、「ライラー」が使う言葉だという。また彼女は本紙に対してこう付言した。「シリア人の寛大さには困惑します。彼らは砲撃で多くを失い、苦しみ、その背後にはがれきが残っているだけなのに、彼らはよくしてくれるのです。彼らの対応で私は罪の意識を感じます。彼らは私に多くのものを分け与えてくれます。私はただ彼らの国で起きていることを伝えようとしているのです」。

シリアは「廃墟の旅」の最初の訪問地として彼女が選んだ場所ではない。彼女は、アフガニスタン、ナイジェリア、チャドなど紛争地と目される多くの国を訪れた。そしてこの旅行により、彼女はイスラーム教徒に改宗した。なぜなら、イスラーム教は「もっとも優れた宗教で、寛容を説いているから」だという。また彼女は本紙に対して「5カ月以上にわたって多くのイスラーム諸国を旅することで、私はイスラーム教の教義に満足し、改宗しました。旅行は中国北部から始めました」と述べた。

■史上最大の虐殺がある

「この残忍さを表す言葉を辞書で探そうとしても、シリアで起きているこの虐殺を表す言葉を見つけることはできません」。「ライラー」はシリアで3年以上続く事態をそう言い表した。また「日本は、ここで起きていることの苦難も混乱も分かっていない。日本人のほとんどは、自由シリア軍の戦闘員が恐ろしい格好をした野蛮な人々だと思っている」とも述べた。

「ライラー」がシリアに来る理由となったシリアの戦争ゆえに、彼女は、自らが目の当たりにした出来事、とりわけこの地域で起きた大規模な避難の動きを言い表すことができなくなったという。彼女はまた本紙に対して次のようにも述べた。「私の頭のなかでいつも、自分の国でこれが起きたらどうなるんだろう、と問いかけています。絶対に私は武器を手にして、私の家を破壊し、私を恐怖に陥れる者たちに立ち向かいます。その(戦争の)原因となった者と戦います」。シリアにイスラーム国(イラク・シャーム・イスラーム国(ダーイシュ))が存在することが、体制と戦ううえで重要だ、と彼女が考えるのはそのためだという。なぜなら、彼女の考えでは「彼ら(ダーイシュ)が悪者だと言ったり、ないしはシリア軍との戦闘において彼らが果たす役割はないと言うことはできない」からだという。しかし彼女によると「でも、彼らがシリア東部を制圧して以降、彼らは革命から逸脱し、自由シリア軍とともにシリアの政府軍と戦うのではなく、自由シリア軍と戦うようになってしまった。ザワーヒリーは彼らにイラクに戻るよう命じたのに、彼らはそれを無視し、アル=カーイダからの独立を宣言してしまった」。

「ライラー」が今後も長年にわたり続くと予想するこの戦争においては、どの当事者もパワー・バランスを変更できそうにはない。イドリブ郊外に滞在する間、彼女は樽(たる)爆弾による砲撃、車爆弾、塩素ガスが装填された化学兵器爆弾などさまざまな事態を目の当たりにしてきた。そしてこれらすべてが「シリアの現体制のパワー」を示している。にもかかわらず、彼女は「反乱軍に勝って欲しい」のだという。

シリア人ではない外国人武装集団に捕らえられることを多くの外国人が恐れているのとは裏腹に、「ライラー」はこれらの武装集団に恐怖を感じたことはないという。なぜなら、彼女にとって、一部の人が犯した個人的な罪を一般化して、悪い考え方をするのはむしろ難しく、彼らは今も、自由シリア軍やヌスラ戦線とともに戦っているからだという。

ライラーはシリア人家族らとともに痛ましい現実にその身を置いてきた。しかし彼女がもっとも注目しているのは、シリア人の戦争に対処し、さまざまな分野で優れた技術を活かす能力なのだという。彼女は最後にこう述べた。「戦闘員になった技師に会いました。大学を離れ、医療現場で活動する学生に会いました。前線での戦闘に参加するためにすべてをなげうつことを選んだ父親に会いました。彼らがすてきな生活を送ってきたのに、戦争でそれを捨てたと考えると悲しくなります」。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

シリア情勢に関しては「シリア・アラブの春顛末記」も参照ください。

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( 翻訳者:青山弘之 )
( 記事ID:34026 )