広がる「PKKよ、子供を返せ」運動―ディヤルバクル
2014年06月07日付 Radikal 紙


PKK(クルディスタン労働者党)に捕えられている子供たちを取り返そうとデモ抗議を行う家族の数が、急速に増している。デモは3世帯の家族が始めていた。ディヤルバクル市役所前のテントでのデモに参加した家族の数は、100を超えた。彼らの願いはただ1つ、彼らの子供たちと再会することである。家族らは皆、子供を取り返すまではここを離れないと述べ、また、「必要とあらば(子供たちを返してもらうまで)ハンガーストライキを行う」と話している。
家族たちの苦しみは同じであり、それが彼らをここに集めたようであった。ディヤルバクルには、トルコ国内のさまざまな地域から人々が集まった。アンタルヤからやってきた者たちもいれば、シヴァス、アルダハンからやってきた者たちも・・・。テントの四方は、「汚れた戦い」を糾弾し、子供たちを返すよう求めたプラカードやメッセージで溢れている。そして人々は皆例外なく、その手に子供たちの写真を持っているのであった。彼らの多くは、BDP(平和民主党)やHDP(人民の民主主義党)の支持者である。エルドアン首相を支持し、彼のクルド問題解決プロセスに期待を寄せているとみられている。彼らは、セラハッティン・デミルタシュ氏率いる「国家謀報機構(MİT)からお金を得ている」といった言葉にひどく傷ついてきた。市の対応にも不満を持っている。子供たちが「誘拐された」とは思っていない。しかしその代わり、「騙された」という表現を用いている。話すたびに、彼らの瞳からは涙がこぼれ、彼らの中からはクルド語とトルコ語で哀歌を歌う声も高まっている。
母親たちのデモとして見られているが、テントには父親や息子、兄弟、そして子供たちまでもが集まっている。そこでは胸を割くような辛いストーリーが語られている。例えば14歳のベダット君は、クズルデレで床屋の見習いであったそうだ。もういなくなってから8か月になる。デモには彼の父親と1人の兄弟がいた。母親は亡くなったそうだ。他の兄弟は1人が刑務所に、そしてもう1人は軍隊にいる。父親はベダット君を見つけ出すために越境した。そして、以下のように述べている。「2度ロジャワ(西クルディスタン地区)に行った。1度はイラクにも行った。息子はカンディル地域にいると言われてそこに行ったが、息子を引き渡してはくれなかった。息子についての情報があったと思っても、逃げて行ってしまうのだ」

メルヴェとファトマは18歳と17歳の姉妹である。姉のほうは2年制大学の、妹はリセの最終学年であり、共に行方不明。母は辛いながらも二人の幼い妹たちと待ち続けている。シヴァスで勉強していたフェルディ・ウルタシュの母は傍らに子供を、そして手にはシャツを持っていて注目を引いている。息子のシャツの匂いを嗅ぎながら立ち尽くしている。母のベヒイェ・ウルタシュは「息子のシャツの匂いをかいでいる。彼は20歳になっても、赤ん坊、私の赤ちゃんである」と言って泣いている。

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( 翻訳者:木全朋恵 )
( 記事ID:34212 )