マヌ・チャオ:僕たちが何もやらなければ文明全体が壁に突き当たる―インタビュー
2014年06月07日付 Radikal 紙


長きに渡って私たちは辛抱強く待っていた、彼を。彼が放った火をさらに燃えたぎらせてくれと・・・。ついに6月21日にマヌ・チャオがイスタンブルへやって来る。イスタンブルも彼と再会するのだ。まず最初にゲジを筆頭に世界中の市民による運動について、そして音楽業界全般から自身の音楽遍歴について、また日々の生活やサッカーについて話すため、彼は受話器の向こうにいる…

 レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンはもういない。再結成する事もないだろう…ベン・ハーパーのアルバムの上には埃がかぶっている。ザ・レベラーズのコンサートには人は来ず、アレステッド・ディヴェロップメントは90年代の夜の「サイドディッシュ(脇役)」であり、アーニー・ディフランコの名は最後にいつ聞いただろうか…60年代、70年代はポスターの題材、90年代から後はメインストリーム音楽とメディアにおいてプロテスト・ミュージックの姿やその存在は消えてしまった。これはおそらくシステマティックな活動であったか、もしくはおそらくそのようでなければならなかった…しかしながら80年代中盤においてマノ・ネグラというバンドと共に、自身が放った抵抗の火をさらに燃えたぎらせ続け、新しい世代の心をつかむのに成功し、スタジオからではなくストリートから声をあげる事を好むマヌ・チャオは、幅広い層へ届くプロテスト・ミュージックの旗を、躊躇なく、そしてさらに高々と嬉々として掲げ続けている。
マヌ・チャオは今、2002年のライヴで彼が放ったイスタンブルの火をさらに燃えたぎらせるためにやってくる。去年ゲジ抵抗運動の際に送ってくれた応援メッセージでファンに挨拶したマヌと私たちの心は共にある。6月21日にライフ・パークのエクシ・フェストで公演するマヌは私たちの電話インタヴューに対し、バルセロナから(バルセロナでは街中で、バーで彼に会うこともできるだろうが)応えてくれた…彼はあなた方へよろしくと言っており、また自由のために市井で闘う皆に敬意を表してくれている。

—どうもこんにちはマヌ。バルセロナの天気はどうですか?
 もっと天気がよくなるはずだったんだけどね。でもこの街では一連の問題があるんだ。ここの社会的雰囲気はどうも良いとは言えないね。

—ええ、ここも全然良くないですよ…イスタンブルの観客達はあなたをかなり久しぶりにもう一度生で観れるので、すごく興奮してます。イスタンブルに以前2回いらしてますね、この街についてどう思いますか?
 いつか本当にイスタンブルに住みたいと思っているんだ。僕からすれば最後に残った面白い街の1つだよ。また行けることになり、すごく嬉しいよ。確か初めて行ったのは2002年だったかな。イスタンブルの町のどこかしこにも、とても興奮したよ。この街は一秒ごとに新しい冒険へと招待をしてくれるようだった。信じられなかったね。何年もの間、もう一回行けるように色々考えてたんだ。

—イスタンブルでプライベートの時間はありますか?
 イスタンブルはツアーのスタート地点なんだ。何日か前に来てイスタンブルでぶらぶらしたいと思ってるんだ。

—演奏するエクシ・フェストは、ババ・ズーラやハカン・ヴレスカラと言ったプロテストといった部分で知られているバンドも公演し、STKがスタンドを開き、自由と私たちのために重要なあるウェブサイトが主催するフェスです…以前にもトルコからの沢山のオファーをあなた方は受けたと思いますが、このフェスに出演する事を決めた時、私が今あげたような事が決定の後押しをしたのでしょうか?
 もちろん…トルコでここ2,3年間大きな社会的緊張とストリート(町)に出て、さらに民主主義のための抵抗運動を組織する人々がいる。僕たちは彼らを応援したいんだ。彼らに最も良い形で近づき、声を上げ、一緒になりたいんだ。こういう理由でどこに僕たちが行くかという事や、誰が演奏するか知っているし、活動を応援している。

—市民による運動といえば…先週はゲジの一周年でした。去年ゲジへの応援メッセージを配信しましたね。ゲジは私たちにとってと同じように世界の他の人たちにとっても重要だったと思いますか?
 長い間全世界で人々はこんなムーブメントを待っていた…トルコで人々が行った事は皆に勇気を与えまた重要な事だったよ。ただ単にトルコの人々のためではなく、全ての人々のための見本だったよ。1年がたったいうのに運動が今なお起こっていて力を持っているという事が、興奮を伝えてくれているね。ここから見て、トルコでの左派の流れがこの目的のために団結している事に、僕たちは大きな尊敬の念を抱いているよ。こういう事はいつでも起こるような事ではないからね。トルコにある最も明るい側面の1つだよ。

ーゲジの後に、ここで得られた最も重要なものの1つが、地域が姿を現し、それがプラットフォーム(基礎)となったこと・・・。
 思うに解決と解放の最も重要なピースはこれだね。われわれもここでこうしたことをしようと思っている。全ての地域を社会の1つの庭として見てこれと繋がる事が必要なんだ。闘争を、あなたの地域で組織化し、始めなければいけない。ここバルセロナでは僕らの住んでる地域ではこうしているんだよ。そしてこれがうまくいって、いくつかの事を変えられることがわかるとおもう。

—世界中で様々な理由から起こる暴動があります…暴動の一部始終をニュースを追うことができていますか?
 全てをインターネットで追っていく事は簡単なように見えても、1つ1つに突っ込んでいく事は難しいよ。でもこの地球のすべての場所で状況は悪くなっていっていて、荒れている。何かが起きて革変が来ると僕は思っている。人々は資本主義が人類を何ら変えはしない事に気づき始めているね。僕たちはこの反応を見て生きている。全ての文明は僕たちが何もしなければ壁に突き当たってしまうよ。

—あなたがサッカー好きなことは知られてますね。今週にもワールドカップが始まりますがブラジルでワールドカップに関してデモがあります。
 僕にとって世界中の全ての社会問題と比べるなら、これらが起こっている時に、サッカーに全くもって重要性はないね。サッカーはもちろん好きだけど観るよりももっとプレーする方が好きなんだ。僕たちの町でよくやる活動の1つもサッカーだよ。週に3回、地域の子供を集めてプレーするんだ。サッカーをするのはすばらしいね。人生で一番好きな事の1つだけど、バカみたいに家で座ってテレビでサッカー観戦するのはねえ…そういうのはもう辞めたんだ。サッカ中毒―じゃないしその事を誇りにも思ってるよ。

「魂と体が僕に生で演奏しなきゃいけないっていってるんだ。」

—実際どんなミュージシャンとであれ話したり、インタビューしたりしたら、彼らはあなたに音楽業界がどれほど悪い状況にあって、インターネットが音楽を終わらせてしまうと言ってくるでしょう。実際そこまで間違ってはいないとおもいます…音楽業界の今に関してどう思いますか?
 良いとか悪いという方向に舵を切ったといってしまうにはまだ早いよ。音楽業界は変わったね、たしかに。でも音楽業界はいずれにしてもそんなに崇高なものではなかったんだ。だからある変革がおこれば良い方向にいくと僕は願っているよ。実際観てみればそんなにたくさんのものが変わらなかった。ただ単に全ての大会社の名前が変わっただけ。数年前はソニーだったのが今ではグーグルだ…後悔してるのはこの事なんだ。つまり、会社が名前やロゴを変えていく一方で、ミュージシャン達はまだ同じ地位にとどまっている状況なんだ。ここのところ音楽家としてやっていくのはもっと難しくなったよ。アルバムを売ったりする事はもう終わったんだ。これら全てのことこそが音楽家を一番最初の重要なところへ引き戻したのさ。つまり生で演奏するってこと。この事は変革の良い部分だね僕にとっては。生きていくため、家族を支えていけるようにするためミュージシャンは生で演奏をしなきゃいけないんだ。

—あなたもアルバムを量産するタイプのミュージシャンとは違いますね。最後のアルバムは2007年に出ましたよね…似たような理由でアルバムを制作せずに、よりもっとライヴを行っているんですか?
 ここ数年、自分の時間と命を音楽の生演奏のためにもっと使いたいと思っているんだ…ツアーをやったり今晩や昨晩みたいに近所のバーに行って地域住民のために生演奏をするつもりなんだ。なぜって僕はここの街のミュージシャンだしこの事が僕に活力を与えてくれるからさ。僕の住んでる街で演奏することで最も好きな事は近所の人たちに演奏出来るって事と、彼らと音楽を共有出来るってことなんだよね。だから今晩も何人かのミュージシャンと一緒に音楽を演奏するんだ。僕の魂と体が僕に生演奏をしなきゃ行けないって言ってるんだよ。レコーディングはまったくもって違うスポーツのようだね。スタジオの中で何人かの人がいて、画面の前に座ってるんだ。はっきり言って、アルバムを制作出来ない理由は、コンピューターの画面はすぐ飽きちゃうからなんだよね。他の理由も、もし君がいつ新しいアルバムをつくるにしても、やりたかろうがやりたくなかろうが、その間全ての中心になってしまうこと…メディアは話したがるし、皆が君について話す…こういう事はどうも僕のやりたい事ではないんだよね。新曲はライヴや近所のバーで演奏してるよ。若者達の中には録音してインターネットにアップロートしてるし、すぐに世界中に拡散されていく。その後でどっか他の場所でライヴに行くと多分皆が新曲を知っているのがわかるだろう。新しいシステムは、自然な形でこのように歩き出している。数年経って、正式なレコーディングはしてないけどこのシステムが僕は好きだしうまく働いているよ。世界中どこでも若者達は5分で僕が近所のバーで歌った歌にアクセス出来るんだよ。2000キロ先に行ってちょっとみてみると、沢山の人がその歌を知ってるのがわかる。もっと良い事に、僕の新曲をギターで弾いて歌っているんだよ。

—予定はどうなっていますか?
 この夏にヨーロッパツアーをやるんだ。その後はもう一度インドに行きたいと思ってるんだよね。デリーでフリーコンサートを立ち上げようとしてるんだ。無料のコンサートを行いたいんだけどスポンサーとかはつけていないんだ。だからちょっと難しいんだよね。その後はアルゼンチンにいってある画家と一緒にあるプロジェクトをすすめるつもりだよ。僕の生活はこんな感じだね。旅行して、人と知り合って、演奏する…バンドのラ・ヴェントゥーラは本当に近しい家族だし、僕たちは世界を旅行する事が大好きなんだ。僕の目標はラ・ヴェントゥーラを活気あるものにして僕たちの旅から新しいものを学ぶ事だね。

—あなたを待っている人たちに対して何かメッセージはありますか?
 人々に僕の気持ちを伝えてほしい。より良い世界のために闘う全ての人たちへよろしく。彼らへ、どうか僕たち皆のために彼らがとても大事だって伝えてくれる?彼らに本当に感謝しているんだ。

※Manu Chao:本名(José-Manuel Thomas Arthur Chao)1961年フランス・パリ生まれ。バスク・スペイン系フランス人。ラテン音楽を下地にしながらレゲエ、スカからパンクに至るまで様々なジャンルの音楽を手がける。音楽活動の傍ら政治活動家としても知られる。ラテンロックバンドMano Negraを結成しデヴュー。解散後はManu Chao La Venturaとして現在はソロ活動を続ける。

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( 翻訳者:岩田和馬 )
( 記事ID:34236 )