CHP、MHPの統一大統領候補はエクメレッディン・イフサンオール!
2014年06月16日付 Hurriyet 紙

共和人民党(CHP)のクルチダルオール党首と民族主義者行動党(MHP)のバフチェリ党首は昨日16日、「統一」候補としてエクメレッディン・イフサンオール教授を推すことを明らかとした。クルチダルオール党首が「皆に受け入れられうる候補者によって我々は民主主義の道を開く」と述べ、バフチェリ党首は「この提案は国民のためにとても有益なことだ」と話した。

CHPのケマル・クルチダルオール党首は、MHPのデヴレト・バフチェリ党首とともに共和国大統領統一候補として、元イスラム協議会(İKÖ)のエクメレッディン・イフサンオール事務総長の名を明らかにした。2人の指導者は、エクメレッディン・イフサンオール氏が候補となるという情報を最も近しい幹部たちにも隠し、この指名を2つの党でも党首の他には計4名しか知らなかったことがわかった。クルチダルオール党首はイフサンオール氏の名を党幹部にまでも隠していたそうだ。側近のなかでは2人だけが知っていたこの名は、「重要機密」として隠された。クルチダルオール党首は6月12日にイスタンブルを訪れた際にイフサンオール氏と会い、申し入れを行った。クルチダルオール党首は、ヒュッリイェト紙の「会って彼の同意を得たのか」という問いに以下のように語った。「イスタンブルで会った。十分に話し合った。この類の重大な話題について同意を得ずに進めることは正しくない。それぞれの同意を得た」

■「大きな合意」

クルチダルオール党首は、イフサンオール氏の名をより前の段階でバフチェリ党首と話し合っていなかったそうだ。しかしMHPのある筋は、イフサンオールの名がMHPの中でも上がっていいたと証言した。クルチダルオール党首は、バフチェリ党首との会談で相互の合意を得たことと、今後MHPが他の候補者を検討することはないことを強調し、以下のように語った。「もうすべての条件のもと準備にとりかかる。これから先に進んでいく際に、『大きな合意』を考えた。これを確かなものにするために多大な努力をした。『一つの党のためではなく、トルコの共和国大統領となってもらいたいと、そしてすべての人々を包み込んでもらいたい』と思った。社会のあらゆる階層の人々と会い、意見を頂いた。そうして慎重に我々はふるまった。あとは皆にかかっている。至福党(SP)へ、労働者党へ、大統一党(BBP)へ、自由民主主義党へ。我々は最も責任が重い。誤解を解く必要がある。この国のために我々は国家元首ではなく大統領を選ぶのである。我々が選ぶ大統領は憲法が彼に課した義務を実行するはずである。しかし、これに反してあたかも我々が国家元首を選ぶかのような風評が流されている」。

■我々は議論を尽くした

クルチダルオール党首は我々の問いに対し、イフサンオール氏を知らなかったと述べた。これについて「あなたがご存じない人物を、あなたの党の候補者として提案したなら、どのような基準を考慮したのですか」という質問を我々は投げかけた。決定の前にイフサンオール氏について議論を尽くしたとするクルチダルオール党首は、以下のように答えた。「彼が持つ今までの経験や中立さ、国際的な分野での学問的かつ外交的活動、トルコ国内外における成功などである。イフサンオール氏は過去に、『政治に関心がない』と話したそうだ。おかげで一つの政党のではなくトルコの大統領となりうる」

■BBPとSPと接触

バフチェリ党首は、クルチダルオール党首との共同会見の前に、BBPのムスタファ・デスティジ党首に電話し、イフサンオール氏の件について伝えた。デスティジ党首は、ヒュッリイェト紙に以下のように語った。「我々が下した決定は無い。バフチェリ氏は我々に情報を伝えた。我々は彼女と会談を行う予定だ。前もってわが党の関係機関を集め、この候補者について精査するつもりだ」。デスティジ党首は昨日16日、SPのムスタファ・カマラク党首と会談を行った。カマラク党首もまだ決定を下さないことを明らかにした。

■カイロ出身のイスラム専門家

イスラム協力機構(İİT)の元事務総長のエクメレッディン・イフサンオール教授は、トルコで2004年6月に有名になり始めた。タイイプ・エルドアン首相と当時の外務大臣であったアブドゥッラー・ギュル現大統領が、当時トルコでイスラム諸国会議機構(İKO)と呼ばれていたこの組織İİTの事務総長候補に挙げた3人の中に含まれていた。外務大臣の提案、つまりイフサンオール氏と近しい関係であったとされるギュル氏が同意したことで、イスラムの歴史と芸術に詳しく、機関の中での彼の活動を世界もが認めるイフサンオール氏は、トルコがはじめてこの役職を引き受けたİKO事務総長の候補者となった。

■初めて投票によって選ばれた

候補者となることが明らかとなると、外務省の当時の中東地域総局の局長フスィン・ブルジュオール大使はキャンペーン活動担当者を務めた。2004年6月にİKO史上初であったが、イスタンブルの外務省会議で、事務総長を投票で決めることが決定された。イフサンオール氏は、マレーシア人とバングラデシュ人の候補者たちを抜かし、2005年1月1日に32票でİKO事務総長に選ばれた。

■妻は「コジャ・レイス」一族

この職を2期にわたり務め2013年に事務総長の地位を離れたイフサンオール氏は、公正党でスレイマン・デミレル氏に続くナンバー2で、「コジャ・レイス」というあだ名をもつ故サーデッティン・ビルギチ氏の親戚であるフュスン夫人と結婚しており、3人の子供がいる。(イフサンオール氏は)たいへん良く英語とアラビア語を知っている。イフサンオール氏は1943年にカイロで生まれ、エジプト・アイン・シェムス大学の理学部を卒業後、エル・エズヘル大学で学究生活を始めた。イフサンオール氏はトルコ文化を幼い頃からその家族環境のため知っており、カイロ国立図書館とアイン・シェムス大学の文学部でオスマン文化と文学について研究と教育活動を行った。1974年にはアンカラ大学理学部で博士課程を修了した後、イギリスのエクセテル大学で博士課程の後、研究を行った。イスラム文化とヨーロッパ文化を身近に触れてきたイフサンオール氏は、1984年に教授となった。24年間イスラム協議会(İKÖ)イスラム歴史芸術文化研究センターのセンター長を務めた。これとともにイスタンブル大学文学部科学史学科長とトルコ科学史協会会長、さらにはイスタンブル大学科学史博物館および文書センター局局長を務めた。イフサンオール氏は、科学史やトルコ文化、イスラム世界について、様々な言語でたくさんの著作を行っている。

■歴史的邸宅を大学に寄付

イフサンオール氏は、ヨズガトの名士であった祖父ハジュ・アズィズ氏がつくらせた歴史的なアーヴァンルオール・ハジュ・アズィズ邸宅をボゾク大学に寄付し、大学によって創設された「歴史文化研究センター」にも1万部以上の本や書、写本などからなる個人蔵の文書を寄付した。ボゾク大学は、イフサンオール氏に「歴史名誉博士」の称号を贈った。

■政府とエジプト問題で衝突

イフサンオール氏は、事務総長の時代に多くの改革を行い、この一環としてİKÖの名をイスラム協力機構(İİT)として変えたが、昨年2013年7月にエジプトでクーデターがおこると、政府との間で問題が生じた。エルドアン首相と政府に近いメディアは、彼がトップを務めるİİTがクーデターに反対の態度を示さなかったとして厳しい言葉でイフサンオール氏を非難した。

■私以上の政治家はいない

イフサンオール氏はエジプト問題に関する批判に対し、以前、個人として以下のように答えた。「ここでの出来事は野蛮であり、アンバランスな力の行使である、合法的な要求を鉛弾で迎え撃っている。人権の最大なる侵害である」。あるテレビのインタビューでは「私以上の政治家はいない」と話したイフサンオール氏は、İİTがエジプトにおけるクーデターに厳しい対応をしなかったことについても以下のように語った。「57の国がメンバーとして参加しているİİTは組織として単なる「事務局」というものではない。何よりもまず加盟国のパートナーシップにとって、İİTが示した政策の結果、İİTの態度は示されるのだ。一部のわれらが国民と友人たちは、我々がこれとは反対のことを言うのを望んでいる。個人的に、皆が話したことよりも多くを語るべき一人として、しかしながらこの地位にあるものとして、共同の決定がない限り、はっきりとものを言うために諸国家の合意を、そしてメカニズムがきちんと動くことを期待すべきである」

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( 翻訳者:鈴木歩実 )
( 記事ID:34333 )