革命防衛隊総司令官「いかなる敵もイラン国境を攻撃する度胸はない」(下)
2014年06月23日付 Jam-e Jam 紙


 総司令官は、聖なる防衛戦がもたらした最大の成果は、世界の中でイスラーム革命を守り、その発展・拡大を継続させたことであり、それは[イラン・イラク戦争での実際の戦闘で]手にした数々の勝利とは比べものにならないと指摘した上で、

われわれの戦士たちが殉教したのは、まさにそのためだったのである。殉教者たちを戦争被害の一部として計算した者も一部にはいたが、しかしながら実際には殉教者の願いは完全にかなえられたのであり、彼はそれを自らの誉れとしている。ならば、殉教者を戦争被害としてみなす権利は、我々にはないだろう。

 と述べた。

 ジャアファリー司令官は、イマーム・ホメイニーは戦争を[神の]恵みだと考えていたと指摘した上で、

当時、われわれはこのイマームの言葉を理解できなかったし、サッダームを倒していないのに、戦争をやめてしまったことに、不快感を覚えたりもした。しかし後になって、この戦争がその後の国の安全に与えた影響や、聖なる防衛が[世界の]その他の諸国民のモデルとなったことで、イスラーム革命創設者のいと賢きお言葉の意味を理解するようになったのである。

 と指摘した。

 同氏はさらに、

われわれの敵に対する軍事的勝利は、ホッラムシャフルの征服で叶えられた。しかしなぜ、イマームの指示によってその後も6年半にもわたって戦争を続けたのだろうか。その理由は、圧制者に対する抵抗を通じて、自らの正しさを[世界の人々に向けて]証明しなければならなかったからなのである。

 と付け加えた。

 革命防衛隊総司令官は、今日わが国が安全であるのは、聖なる防衛戦のお陰であるとし、「今日多くの国々が、イランは不安定な地域の中で安定を保っている孤島だとみなしているとすれば、それは8年間に及ぶ聖なる防衛戦でも、8ヵ月間に及ぶ反乱でも、わが国を不安定化させることを敵に許さなかったからだ」と述べた。

 総司令官は、イランの国境地帯は安全であり、いかなる敵、米国でさえも、ここに攻撃する度胸はないとした上で、

アメリカは9.11を口実に、アフガニスタン、次にイラクを攻撃した。そしてわが国を包囲して、イランにも侵攻しようとした。しかし我らが国民と軍が、最高指導者と聖なるイラン・イスラーム共和国体制の保持に準備万端であるのを見たとき、彼らは、わが国を攻撃しようなどと考えたことを後悔したのである。

 と述べた。

 革命防衛隊総司令官は、80年から86年[西暦2001/02年から2007/08年]にかけて、わが国は深刻な脅威にさらされていたが、それは現実のものとはならなかったと指摘した上で、「わが国民と革命の敵どもは、わが国に軍事行動を仕掛けても、目的を達成することが出来ないと分ってからは、わが国の国内状況を不安定化させる作戦に切り変えた。その結果が、88年の反乱[2009年の大統領選後の抗議運動]だったのである」と述べた。

 総司令官はまた、いかなる社会も、その成長と発展は、その社会が安全であるかどうかに左右されるとした上で、「聖なる防衛戦のもう一つの成果は、イスラーム革命の発展・拡大である。それによって、われわれはイスラーム革命を世界に輸出することが出来たのである」と述べた。

[‥‥]



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:たるじょめのおきな )
( 記事ID:34475 )