クルド系政治家ディジレ氏、刑期短縮で釈放
2014年06月29日付 Radikal 紙


KCK(クルディスタン社会連合)の本裁判で有罪とされた元民主主義党(DEP)所属国会議員、ハティプ・ディジレ氏が釈放された。ディジレ氏は、釈放の決定が下された後、ディヤルバクルD型刑務所から出所した。

KCK本裁判で勾留されたまま裁判にかけられた、解党されたDEPの元党首ハティプ・ディジレ氏および元バーラル市副市長ヒュサマッティン・チチェキ氏が釈放された。これによりKCK本裁判による勾留者の数は33人に減少した。

■ペルヴィン・ブルダン氏がこの知らせを伝えた

HDP(人民の民主主義党)のペルヴィン・ブルダン会派副代表は、Twitterに「我々の友ハティプ・ディジレが釈放された」と投稿した。
ディヤルバクルで行われたKCK本裁判で、2009年に逮捕されたハティプ・ディジレ氏の弁護士アリ・エクレム・アタライ氏は、昨日27 日、依頼人が釈放されるよう、ディヤルバクル第2重罪裁判所に申請した。28日の今日、申請を審査した裁判所はハティプ・ディジレ氏とともにヒュサメッティン・チチェキ氏を釈放することを決定した。
ディヤルバクルD型刑務所に勾留されていたディジレ氏とチチェキ氏は、釈放の決定が刑務所に届いた後、自由の身となる。ディジレ氏とチチェキ氏が釈放されると、KCK本裁判での勾留者は33人となる。

■裁判所長が変わった

ディジュレ氏の弁護士アリ・エクレム・アタライ氏は決定に関して、「ハティプ・ディジュレ氏の釈放については、憲法裁判所の決定を含め一連の理由があります。私は、ハティプ・ディジュレ氏とチチェキ氏の弁護士です。依頼人のために、1週間前、釈放の申請を行いましたが、裁判所は却下しました。昨日27日、再度裁判所へ申請しました。裁判所長が変わり、28日の今日、新任の裁判所長は私の申請を審査し、2人の依頼人に関して釈放の決定を下しました。依頼人の方達は4年6か月刑務所にいました。12月には刑務所に勾留されて満5年になろうかというところでした」と語った。
KCKに対する最初の捜査は2009年の4月14日に行われ、多くの場所で同時に実施された一斉捜査によって、何十人もの人々が拘束された。逮捕された者の中には、DEP所属の元国会議員ハティプ・ディジュレ氏とともにBDPの幹部や市長達も含まれていた。ディヤルバクル県共和国主席検事によって用意された 7500ページの起訴状では、KCKに対し「影の政府」という言葉が使われた。

■刑務所から出て、賞を得た

(釈放の)決定の後、18時頃ハティプ・ディジュレ氏は、ディヤルバクルD型刑務所から出所した。ディジュレ氏を、刑務所前でBDP所属の国会議員ファイサル・サルユルドゥズ氏や、ディヤルバクル広域市のギュルタン・クシャナク市長・、フラト・アンル副市長、市民社会団体の代表者達、近親者らが出迎えた。ディヤルバクル広域市のフラト・アンル副市長は、刑務所の前でハティプ・ディジュレ氏へ、ディヤルバクル医師会が今年授与した、平和・親愛・民主主義賞を与えた。
自身を出迎えるために来たくれた人々へ感謝の意を述べたディジュレ氏は、以下のように述べた:「歴史は何といたずらなのか、10年前、最初に収監された時も、6月に我々は自由になりました。我々がウルジャンラル刑務所から自由になった日、10年前、我々の望みは、クルド問題が解決と、もはやクルド人政治家がその思想のために刑務所へ収監されないことでした。しかしトルコの条件下で、5年前、非常に悪い状況で、私と友人たちは出会いました。また、多くの人々が被害者となりました。1万人近い人が、政治家、思想家、新聞記者、あらゆる職業の人が、市井の思想家として刑務所に入れられました。我々は大変異常な時代を過ごしました。ご存知のことと思いますが、シェイフ・サイードの反乱以来、クルド人の知識人と政治家は政治的な虐殺に直面してきました。独立裁判所の当時のディヤルバクルの検察官がイノニュへ手紙を書いています。その手紙には、『クルディスタンでリーダーとなり得る者達を片づけなければならない』、つまり指導者の役割を果たし得る全ての人材をなんとかしなければならない、と書いてあるのです。この「なんとかするということ」を、みなさん、絞首台に引っ張っていくことと捉えてください。これは1925年のことでした。1990年代が来ました。クルド人達が自由のために戦っていた時、当時国会議員だった一人のクルド人政治家として今回、我々は加害者が不明だった殺人事件の容疑で逮捕されました。何千人もの―1万7千人と予想されていますが―人々が通りで殺され、その加害者はいまだに不明です。」

■「本当は怒りが爆発しそうだ」

ディジュレ氏は、説明したことに関して何年もの時間が過ぎたことを述べ、以下のように話した:「あの頃から20年もの時が過ぎ、今度は将来の民主主義の舞台であるはずの政府の時代に、残念ながら、今回クルド人政治家たちは頭に弾丸を撃ち込まれはしなかったが、刑務所一杯に押し込まれ、政治的な虐殺にあいました。しかし我々はこれが最後であってほしいと思っています。本来なら今日、あなた方は私にこう聞くことができます、嬉しくないのか、と。率直に言いますと、嬉しくないのです。私は、何十人もの友人を、刑務所に勾留者として残してきたまま出所しました。彼らも我々のように政治を行った人々でした。また、20歳の、20年間刑務所にいる若者がいます。彼らの髪はすでに白くなってしまいました。誰もにも、クルド市民の自由のために戦ったこと以上の罪はありません。本当は、怒りが爆発しそうですが、ラマザンを思い出して、ラマザンは平和の月です。必要ならば、政府の最後の日々に、事態が好転することを、我々が望む歴史的な一歩となることを、我々が望む前進を考えながら。我々の責任を認識している一人の政治家として雰囲気を和らげるということに関しては、それ以上のことを述べる必要性を感じていません。しかし、私が思うに、この短い話からでさえ、我々を見聞きする人々は、我々のこの感性に対して正しい意味を与えてくれます。政府をはじめとする我々の対話相手に対し、民主的な政治への道を開き、まず全ての刑務所にいる捕らわれの人々―イムラルで平和を構築した親愛なるオジャラン氏をはじめ全員を釈放し、山々にいる子どもたち全員が一秒でも速く家族や社会のもとに帰すよう、必要なことは何であれ実行することに関し、自分たちも責任を持つよう呼びかけます。今日まで我々国民が、我々の民主主義に、トルコ社会の輝かしい日々に貢献していれば、今後も我々はそのように振る舞っていくことに疑いの余地はありません。」

■理由は長期にわたる勾留

ディジュレ氏の弁護士であるタヒル・エルチ氏は、「私の依頼人は1、2時間以内に釈放されます」と述べた。エルチ氏は、(ディジュレ氏に対する)告訴内容と、勾留期間が4年半を超えたために、裁判所が釈放の決定を下したことを明らかにした。エルチ氏はヒュッリイェト・ドゥンヤスに以下のように話した:「私の依頼人であるハティプ・ディジュレ氏に対する告訴内容および4年半を超える勾留期間が理由で釈放が決定されました。12月には満5年になるところでした。最長服役勾留期間を超えるところだったのです。4年半(経ってしまった)とはいえ、不法なことが終わり、釈放となったのは喜ばしいことです。我々が再度行った異議申し立ての結果、KCK裁判で勾留されている33人の釈放申請が、来週の月曜日に審査されます。」
エルチ氏は、ディジュレ氏が来年実施される2015年の総選挙で候補者となることが妨げられたりはしないことも述べた。エルチ氏は、「親愛なるディジュレ氏は2015年に国会議員に立候補するでしょう。CMK(トルコ刑事裁判所法)の改正を参照するに、障害となる状況はありません。判決が実施されるのと同時に、制約もなくなります。私が考えるに、2015年の立候補の障害となるものはありません」と続けた。

■2011年に選出も、YSK(高等選挙委員会)が当選を取消

1991年にディヤルバクル選出の国会議員に選ばれたものの、1994年3月2日にトルコ大国民議会で、レイラ・ザナ氏、セリム・サダク氏、オルハン・ドアン氏、そしてディジュレ氏の国会議員特権が剥奪された。
判決が下されたのち、10年間刑務所に収容されていた。2004年に釈放されたディジュレ氏は、6月12日の総選挙で労働・自由・民主主義ブロック (2011年の総選挙時にBDPをはじめとする政党が組織した無所属候補者のプラットフォーム)のディヤルバクル無所属候補者として議員に選ばれたが、その当選は高等選挙委員会によって取り消された。ディジュレ氏は、2011年6月12日に行われた総選挙のために労働・自由・民主主義ブロックのディヤルバクル無所属候補になった。2011年4月に高等選挙委員会は、平和民主党が支持した、ディジュレ氏を含む12名の無所属国会議員候補者の当選を、国会議員に選出される妥当性に影響を及ぼすであろう前科があるという理由で取り消した。その後、一部の無所属国会議員候補たちの取り消しに関し、高等選挙委員会によって行われた評価で、ディジュレ氏やライラ・ザラ氏、ギュルタン・クシャナク氏、エルトゥールル・キュルクチュ氏、セバハト・トゥンジェル氏が国会議員の候補者となることに関して、障害はないと明言された。2011年6月12日に行われた選挙でディジュレ氏は、ディヤルバクルから2度目の国会議員に選ばれた。しかしながら確定された実刑のために、高等選挙委員会の決定により氏の国会議員職は失われた。ディジュレ氏の代わりに、息子でテロの犠牲となったオヤ・エロナット氏がディヤルバクル選出の国会議員に選ばれた。

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( 翻訳者:粕川葵 )
( 記事ID:34503 )