エルドアン、その生涯―サッカー選手から大統領候補へ
2014年07月01日付 Hurriyet 紙

トルコ史上初めてのことがこの8月に起こる。初めて国民が大統領を選出するのだ。

大統領候補には議員20名の署名が必要であることから、トルコ大国民議会で会派を持つ各政党に注目が集まった。共和人民党(CHP)と民族主義者行動党(MHP))が共同の候補者を選出した。エクメレッディン・イフサンオールである。

トルコ大国民議会の最小政党である人民の民主主義者党(HDP)は、セラハッティン・デミルタシュ氏を大統領候補として昨日公式発表した。

大統領候補を最後に発表した政党は、与党である公正発展党(AKP)である。AKPは、国民によって選ばれる初めてのトルコ大統領候補に、現党首のレジェプ・タイイプ・エルドアン首相を擁立した。エルドアン首相は、1954年2月26日、イスタンブルで誕生し、政治の中心アンカラへ移った。今では、11年間首相の座につき、そしてトルコ共和国の最上位に位置する大統領候補になった。エルドアン首相はピヤーレ・パシャ小学校で学び、イマーム・ハティプ高校を卒業した。高等教育をマルマラ大学経済商業学部で終えた。

■政治もサッカーも

エルドアンは青春時代に2つのことに夢中になっていた。
政治とサッカーである。ジャーミーアルト、IETT、エロクスポルらのサッカーチームで16年間プレイした。政治は、トルコ学生連合で慣れ親しんだ。 1976年には国民救済党(MSP)ベイオール地区青年部代表に選ばた。たちまちMSPイスタンブル県代表に選出され、積極的な政治活動により初めて名前が広く知られるようになった。

■人生の伴侶を会議で見つける

エルドアンは人生の伴侶をある会議で見つけた。1977年に、ある会議で知り合ったエミネ夫人と結婚した。その後、息子2人と娘2人が生まれた。アフメト・ブラク、ネジメッティン・ビラル、エスラ、スメイエー。

まだ軍が国を動かしている時、エルドアンは兵役を1982年に行い、トゥズラで予備士官として任務に就いた。

■福祉党で政治活動を続ける

1983年に行われた選挙と軍政の終了によって、エルドアンは再び政治に戻った。解散されたMSPの代わりに福祉党(RP)が新たに結成された。エルドアンは、1984年にRPベイオール地区代表、1985年には県代表、党の中央決定執行委員に選ばれた。

■いくつもの選挙で・・・

1986年の選挙でRPの国会議員候補に立った。その後、ベイオール地区から首長候補に擁立したが、いずれも選出されたかった。しかし1989年の選挙でRPが第2党にのぼると、エルドアン氏の政治的地位も一気に上昇した。

■議員に選ばれたが・・・

1991年に再度福祉党から国会議員立候補にあがった。しかしその選挙で試行された選択順位投票システムにとらえられた。選出分の票は獲得したが、選択順位投票制によって高等選挙委員会が当選を取り消した。

■イスタンブル広域市長

RPのイスタンブル県代表を務めていたエルドアンは、1994年3月27日にイスタンブル広域市長候補となり、選出された。

■詩を読んだが・・・

1997年12月に、エルドアンがスィールトで行われた会議で読んだ詩は、政治生命を脅かすものだった。それに関する裁判が開かれた。ディヤルバクルの国家安全裁判所で行われた審理の結果、トルコ刑法(TCK)第312条の罪で刑が科せられた。

その後、エルドアンはトルコ大国民議会の壇上をはじめとして様々な場所で詩を朗読し、2月28日過程の影響下であった当時、裁判所は「国民を宗教と人種で差別し、憎しみと敵対心を煽っている」と決定を下し、禁固刑が科せられた。

■4か月服役・・・

エルドアンは4か月の禁固刑が科せられ、1999年プナルヒサル刑務所に入所した。同年7月24日に刑期満期を迎え釈放された。

■保守派・・・改革派・・・

2月28日過程の影響を受けたのはエルドアン個人だけではなかった。所属しているRP、その後身の美徳党(FP)が解散された。

FPの解散とネジメッティン・エルバカン党首の政治活動禁止措置は党の核となっていた「ミッリー・ギョルシュ」(国民の視座)運動の分裂を招いた。新たな党を結成する動きの中で、エルバカンの意志に沿う者の「保守派」とエルドアンやアブドッラー・ギュルを筆頭とした「改革派」が生まれた。党内の争いは「保守派」が勝利し、レジャイ・クタンが2001年7月20日に幸福党(SP)党首に就任した。

■そしてAKPが結成される・・・

一方「改革派」は、エルドアンを筆頭に公正発展党を結成した。AKPは2001年8月14日に結党された。エルドアンは党首に就任した。党が結成されてまもなく早期選挙が行われた。そして、結成直後にもかかわらずAKPは2002年11月3日に行われた統一選挙で第1党となった。

■党首であるが大統領ではない・・・

AKPが与党となった。しかし党首であったエルドアンは前回の禁固刑を理由に国会議員に選出されなかった。自身は党首として活動を続け、首相職には同じ党内のアブドゥッラー・ギュルが就くこととなった。しかし選挙直後に、その当時の最大野党であるCHPの協力のもと、憲法改正が実施された。政治的罪で刑を受けた者でも国会議員になる資格が決められた。

■エルドアン首相

政治的障害を取り除き、エルドアンはスィールトで実施された中間選挙で国会議員に選ばれた。そして首相への道が開かれた。ギュル首相の第58代内閣が辞職を決め、AKP党首でスィールト選出議員のエルドアンが第59代内閣の首相となった。

■トルコ史上最も長い政権・・・

エルドアンは、2003年3月14日に首相に就任し、過去2回の選挙でも敗退せず、選挙でAKPを与党として牽引し、トルコ共和国史上最長の長期政権を築き上げた。

■次は大統領か?

カスムパシャで生まれ、政治生活に入ったエルドアン首相は、アンカラに移ることになった。本日発表された大統領候補として選ばれると、第11大統領として大統領官邸にのぼることになる。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:小幡あい )
( 記事ID:34540 )