文化の改革は国家の改革(下)
2014年07月02日付 Jam-e Jam 紙

 イマーム〔・ホメイニー〕閣下の説明によれば、一国の改革の道はその文化にある。これに基づくなら、〔一国内に〕秩序と安全を確立するためには、文化的解決策の実行を考えなければならないだろう。それを通じて、社会の各集団の結合を維持し、社会の個々人と統治する政府・国家との関係を改善させることが可能となるのだ。

 もしイスラーム的価値観に基づいた文化が社会に広まり、社会を統べることになれば、もはや政治からは権力争いという意味は失われるだろう。そしてそのときには、社会全体は〔指導者による〕導きと完成の道に置かれることになるだろう。もし社会の政治が昇華されるならば、イマーマ(指導)と導きの上に成り立った政治は正義と人倫に満ち溢れたものとなるだろう。

 一社会の文化を創造することは、極めて困難かつ時間のかかる仕事である。それゆえわれわれが言っているのは、もし国民(全体)が自国の文化の改良に向けて動き出そう、そしてその社会の指導者たちも共同歩調を取ろうとするのであれば、結果が得られるまで何年も努力する必要がある、ということである。だからこそ、全国民が〔「国民的決意とジハード的マネジメントによる経済と文化の年」という〕このスローガンの呼びかけの対象となっているのである。そしてその実現には、長年にわたる国民的決意が必要とされるのだ。

 一社会の文化を改革するためには、人から始めなければならない。イマーム〔・ホメイニー〕の人間論にしたがうならば、絶対的完成と善と幸福への愛が眠る、いまだ覚醒せざる本性をもった人間は、神の軍隊に結合し、それによって社会における理性の上昇と拡大が得られるだろう。人間が自らの真の本性から遠ざかれば遠ざかるほど、封印された本性に近づき、悪魔の軍隊が彼を支配するだろう。後退・停滞という側面が人間に明確に現れるようになるのも、そうしたときなのである。

 イマームの思想では、人間と彼の幸福が中心的な位置を占めており、現世は人間を来世に導くべく、人間に尽くす存在である。それゆえ強調されているのは、内的なものであれ外的なものであれ、いかなる障碍も取り除かれねばならない、ということなのである。

 あの方は、圧制の下に置かれることを外的な障碍であるとして、内的な障碍である圧制の実行と同列に置いた。そしてこれら二つを、〔魂の〕未浄化によるものだと考えたのである(『ホメイニー著作集 第18巻』、p.499.)。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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( 翻訳者:ペルシア語記事翻訳班 )
( 記事ID:34656 )