セリム1世の遺言の実現に官僚機構の壁―墓棺の覆い布の行方
2014年07月13日付 Milliyet紙


「冷酷者」セリム1世が「私が死んだとき、私の墓の上を覆ってくれ」と言って遺言とし、2006年まで廟の棺の上を覆っていた「泥付きの上衣」がここ8年間かけられなかった。

 エジプトを征服し最初のオスマン朝カリフの地位に立ったセリム1世は、遠征からの帰国時、師であったケマルパシャザーデとともに帰路にあった。軍が進む中、しばしぬかるんだ道を通ったのだが、ケマルパシャザーデの馬の足が触れて、地面からはねた泥がセリム1世の上衣にかかった。セリム1世の冷酷な気質を知っていたため全員震え上がり、困ったケマルパシャザーデは頭を下げて、気を揉んで主人の対応を待った。事態に気づいたセリム1世は、「師よ気にしないでくれ!あなたのような聡明な学士の馬の足からはねた泥なら我らにとっては飾りになる」と言って、師匠を許した。上衣を脱いで側近に伸ばして 「遺言だ、私が死んだ時にはこの上衣を私の棺の上にかけてくれ!」と言い、セリム1世の死後、この遺言は実現された。

■構造が損なわれる!

 廟が1925年に閉められたのち、廟は長期間に渡って閉じられたままだったため擦り切れた上衣は、2006年に国民宮殿庁に1年間引き取られその後博物館局に返却された。しかし墓の上にはかけられていない。時の霊廟博物館局は2012年に「ジレンマがあります。一方で、セリム1世の遺言があり、もう一方では上衣が廟の真の特質をそこなう状態にあったのです」と発表した。

そして数年が過ぎたが上衣はいまだその場にはない。新局長のムスタファ・キュチュクアシュチュ教授は、「博物館で修復が続いています。官僚制や法律作成が伸ばされて、上衣は倉庫にあります」と話す。同教授は、「修復は8年もかかって終わってないのですか?」という質問には「私は去年からここにいるので」と答えた。

■「別の目的がある」

 歴史家たちは事態に反発し、上衣がその場所にすぐにでも戻される必要性を口にしている。

 マルマラ大学のアフメト・シムシルギル教授は、「セリム1世の上衣は500年近くに渡って廟にある棺の上にありました。8年前引き取られて、未だに戻っていません。何回も関係者たちに勧告しましたが、ずっと言い訳しています。別の目的があると考えています。セリム1世の遺言を重んじることは歴史を重んじることなのです。この事態はセリム1世の意思、そして歴史に背くものと見ています。関係者に素早く上衣を返却するよう待っています」と話す。

 イスラム法専門家のエクレム・ブーラ・エキンジ教授は、「上衣は最近まで棺の上にありました。君主が遺言を遺し、数百年にわたりこの遺言は実行されました。今後も遺言を尊重することは倫理的な義務です」と述べる。

 研究者で作家のタルハ・ウールルエル氏は「セリム1世は知性を持つ君主でした。エジプト遠征へ向かう時さえそばに数百冊の本を携えていました。帰還の際に宮殿で最初に立ち寄った場所も図書館でした。この遺言は知と知識人に示した重要性を表しています。維持や修復と取り合わないことは、大いに不実な行いです。すぐに戻されるべきです。一刻も早く戻すべきです」と話す。



本記事はAsahi 中東マガジンでも紹介されています。

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(翻訳者:伊藤梓子)
(記事ID:34683)