カルバラー県、県境の入り口を閉鎖:100名以上の武装勢力を逮捕
2014年07月02日付 Jam-e Jam 紙

【ジャーメ・ジャム・オンライン】火曜日〔7月1日〕の夜からカルバラー県で発生した戦闘を受け、イラク軍は同県内に往来禁止令を敷いた。また、イラク治安部隊は宗教指導者ムハンマド・アル=ハサニー・アル=スルヒーの支持者ら100名以上を逮捕した。

 ニュースサイト「シュメール・ニューズ」の報道によると、イラク治安部隊は今日〔7月2日〕カルバラーで起きた散発的な戦闘を受けて、同県内全域に往来禁止令を敷いた。〔‥‥〕

 カルバラーは昨夜から、マフムード・アル=スルヒーと呼ばれる宗教指導者の武装活動の舞台となった。スルヒーはイラクに住むシーア派住民の宗教的権威(マルジャ)を自称している。

 アル=スルヒーはサッダーム・フセインの処刑とイラク・バアス党の消滅と同時に身を隠していたが、ダーイシュやバアス党の出現と、こうした集団によるイラクでのテロ活動の活発化に伴い、同国のシーア派信徒らを分断する目的で、今再び姿を見せ始めている。報道によれば、この人物の支持者たちは火曜日(ティール月10日)〔7月1日〕の夜から、カルバラー治安部隊との戦闘に入ったとのことである。

 この人物はナジャフ県にいる宗教的権威たちと良好な関係を有しておらず、2003年に突如世間の前に姿を現すや、自らを「大アーヤトッラー」や「宗教的権威」と呼ぶようになった。そして今、この人物は自らの支持者たちを動員して、イラク軍や同治安部隊と対峙させているのである。

 イラクにおける宗教的権威を自称し、〔第2代イマーム〕「ハサン」の血筋を引くとしているマフムード・ブン・アブドゥッレザー・ブン・ムハンマド・アル=ハサニー・アル=スルヒーは、1964年にカーゼマインで生まれた。

 彼は1987年にバグダード大学工学部を卒業し、その後1994年にイスラーム神学校の門を叩いた。

 2005年〔ママ〕にマフムード・アル=スルヒーは突如イラクのヒッラの街に出現、極めて短期間の内に、シーア派住民の住むイラク国内各地に事務所を設立し、宗教的権威を名乗ってからは、アメリカ占領軍と対峙する姿勢を示した。

 その数日後には、彼を支持する勢力は聖地カルバラーでアメリカ人兵士らを襲撃し3名を殺害、その後彼は「時のイマーム」〔※お隠れ状態にある第12代イマームで、終末の時に救世主として再臨するとされる〕に会ったと主張して、イラクの宗教的権威たちやシーア派信徒らの強い反発を招いた。

 彼の経歴を調査した結果判明したのは、彼もまたバアス党治安機関の元一員で、現在はサウジアラビアの情報機関との協力のもと、シーア派の宗教的権威らを攻撃することを目標として活動をしていた、ということだった。

 その後しばらくして、米軍は彼を法的に訴追する命令を出し、そのため彼はすぐに行方をくらました。ニュース・メディアは当時、彼はレバノンに逃亡したと報じていた。

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( 翻訳者:8413301 )
( 記事ID:34698 )