ベルグラードの森、更地に
2014年07月20日付 Radikal 紙


第三橋が引き起こした破壊は、ここのところ宇宙からでも見られる。森を「宇宙から」ではなく、近くや森のふもと、その中から眺める人々は何を見ているのだろう。定期的にベルグラードの森で歩いている数少ない団体がいる。これらの団体の一つを立ち上げたカミル・エセル氏は、森が急速に更地に変えられていることを話す。

「かつてベルグラードを歩いた時、私は終わりのない感覚をおぼえたものだった。この感覚は急に失われている。少し行くと、開けた空間や黄色土が必ず現れ、目前の第三橋のため開かれた道でとぎれている。もしくは新しく開かれた連絡路が向かいに出現する。存在する道路のいくつかも拡げられている。この伐採に加え、いくつかの地域でも木が減らされてしまった。」
第三橋のため、森で行われた伐採が宇宙からも確認されると、それはニュースとなって多くの反感を買った。カミル・エセル氏はこの破壊が森の中やふもとからどのように見えるかを目撃したイスタンブル住民の一人だ。同氏は2011年より定期的に毎週、ベルグラードの森を歩いている。彼は「我々はベルグラードの森を歩いている」という団体の設立者だ。団体が初めて組織された時の名前は「我々は毎週土曜ベルグラードの森を歩いている」であったという。その後、このスペイン貴族風の名を短縮してこの形になった。すべての散策にかかる参加費は無料。市バスに乗り、ベルグラードの森に行くだけでよい。団体はフェイスブックやツイッター上に約1700人の会員をもつが、この散策には15人から35人規模のグループが参加している。参加者の年代はだいたい30歳から50 歳くらいで、弁護士、看護師、技師や医者、教師、主婦、無職の者や定年退職者などがいる。カミル・エセル氏は散策をたばこをやめることから始めた。運命のいたずらで、自分の肺が健康を取り戻すにつれ、イスタンブルの肺が破壊されるところを目撃した証人となった。

(以下、エセル氏とのインタヴュー)

■ベルグラードの森で歩く団体はたくさんありますか?

「イスタンブルの、ハイキングをする団体は時々ベルグラードの森で歩く。しかし彼らの多くは市外に出掛ける。定期的にベルグラードの森を歩いているのは我々とケマル・エルサイ氏の「活動世界」、マフムト・チェチェン氏のYUDOKSだ。私もマフムト氏の団体から始めたが、しばらくして2011年12月に 自分の団体を結成した。もっともイスタンブルでは6月、7月、8月にかけて暑くなるのでベルグラードの森だけ歩くことができる。」

■3年間で森でどのような変化がみられましたか?

「私たちはかつて森の中で6、7時間途切れることなく歩いていた。また私たちの周りには森しかなかった。今は、ベルグラードの森で歩く時、私は「退屈さを感 じて」しまう。森を歩く時、私は終わりのない感覚をおぼえていた。この感覚は急速に失われている。少し行くと向かいに開いた空間や黄色土が必ず現れ、目前に第三橋のため開かれた道で途切れてしまう。もしくは新しく開かれた連絡路が向かいに出現する。存在する道のいくつかも拡げられた。これらの伐採に加え、各地で木が減らされた。私たちは森の中で「私有地」という線で囲まれた場所に出会うようになった。」

■新たな森林伐採はありますか、あなたはそれに遭遇していますか?

「私たちが歩いた地域に新たな伐採はない。それどころか、いくつかの地域では、伐採されて開かれた地で新たに緑地が形成され始めたようだ。伐採は、最初おそらく樹齢80年から100年の巨樹を切るという形で行われていた。しかしその後残された樹齢10年、15年、20年の木も重機で掘り返されるようになった。」

■伐採は誰が行っているのですか?

「森で働く季節限定の短期労働者がいて、日雇いで、家族単位で働いている。伐採は森林労働者がやっていた。重機は建設会社の人々が使用していた。森林労働者は私たちに「我々もとても悲しい」と言っていた。伐採が続く中、少し前には30から40人の女性の森林労働者たちが地面に座り、そこで何かをしていた。私たちは「何をしているのですか」と尋ねた。地面に落ちた種が芽を出していたらしい。彼女たちは芽が健やかに成長し、木となるように芽のまわりの雑草を抜いていたのだ。大きな破壊がある一方で木の世話がなされている。」

■ハイキングをする団体として、あなたがたの活動で森の何が変化しましたか?

「私たちはハイキングの中で、場所を見分けられるように森の特定の場所にタイム畑やCheeroke広場、崖の景色などのような名前を付ける。 Cheeroke広場は広い空地で、森がまばらになった場所だ。ギュムシュデレ村がその下にある。過去この広場から下に降りるとき、私たちは硝酸をかけられたかのように嘆いた。なぜならそこに存在した道がすっかり拡げられていたからだ。そのうえ、ヤギの道もすべて拡げられ、20メートルから25メートルの広さをもった道に変えられた。道の周りにある木や緑地はまばらにされていた。下に降りると私たちは、高架橋の下に準備されていたと思われる巨大な土の山と出会った。」

■タイム畑とは?

「タイム畑は私たちの休憩所の一つで、散策の3分の2ほど進んだ場所にある。野生のスモモ、リンゴ、ナシの木で囲まれており、その表面が様々なタイムで覆われた場所であった。今はタイム畑はない。少しも残っていない。植物は全て取り除かれてしまった。完全にむき出しの土地である。池もできた。」

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( 翻訳者:星井菜月 )
( 記事ID:34783 )